京都・伏見稲荷大社「玉山稲荷社」

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京都・伏見稲荷大社「玉山稲荷社」

造営年

1875年(明治八年)

建築様式(造り)

一間社流造

屋根の造り

檜皮葺

主祭神

玉山稲荷大神

当社で斎行される祭礼

🦊8月15日:11時(例祭)

🦊11月6日:15時(火焚祭)

社格

伏見稲荷大社 末社

玉山稲荷社の読み方

玉山稲荷社は、「たまやまいなりしゃ」と読みます。

玉山稲荷社の「玉山」の名前の由来

玉山稲荷社の御祭神は、一時期、他所に勧請(かんじょう)されて、移座したが、再び当地に戻される形で移座された、伏見稲荷大社の御祭神(稲荷大神)の分霊です。

江戸時代中期、東山天皇により宮中鎮守として伏見稲荷大社より迎えられて以来、宮中にて祀られていましたが、山城国愛宕郡・修学院村(現・京都市左京区)の玉山に移されます。

どうやら、この「玉山」という地名が、現在の社名の由来となったようです。

玉山稲荷社の歴史・由来

天皇崩御の後は、天皇にお仕えしていた月読神社(つきよみじんじゃ/京都市・松尾)の社家(しゃけ)・松室重興氏が預かり、その後さらに愛宕郡・高野村(左京区)の私邸内に遷座しました。(松室家は代々、松尾大社および、月読神社の神官を務めた家系)

⬆️人生初のラブレターが机の中に入っていて、開ける時ウレしさあまってハサミで豪快に切り込んだが、中身まで切り刻んでいたことが発覚した瞬間のコレどなぃしまんねん状態ほど噂の‥‥「月読神社」

この間は宮中から勅使(お使い)が下向し、丁重に祀られていましたが、東京遷都に伴って勅使(ちょくし)の派遣が取りやめられたことにより、1974年(明治七年)に伏見稲荷大社に戻される形で再び移座と相成った。

当初は仮殿である権殿(ごんでん)に祀られ、翌年、造営された現在の玉山稲荷社の社殿に移られました。

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関連記事: 京都 伏見稲荷大社「権殿」【重要文化財】

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玉山稲荷社の建築様式(造り)と見どころ

玉山稲荷社 礼拝所の建築様式・特徴

唐破風の礼拝所

玉山稲荷社を正面から見ると、朱塗りの玉垣と、重厚な唐破風の礼拝所(拝殿代わりの屋根)が目につきます。

屋根と柱だけなので拝殿とは呼べませんが、こちらが拝殿代わりで参拝者が通常、礼拝する場所。

⬆️真暑の夏すぎる日、トロピカルアイスを買ってルンルン気分でペロついたが、2口目食べる前に溶けて下に落っこちた心のダメージ具合ほど噂の‥「玉山稲荷社の唐破風」

伏見稲荷大社の本殿前の内拝殿にも、立派な唐破風が設けられていますので、同じ神を祀る玉山稲荷社も、拝殿こそないものの、伏見稲荷大社らしい建築様式が採用されていると言えそうです。

玉山稲荷社の扁額

本殿に比べて主張が強いデザインで、唐破風の軒下には金文字の「玉山稲荷大明神」の扁額がかかる。

蟇股

その奥には黄色と白の菊花の立体的な彫刻が施された蟇股(かえるまた)があります。

石灯篭

刻銘が風食によって表面がスリ減って文字が見えにくいが、裏側の竿部分に「安政六 巳未 年」の陰刻が示すとおり、江戸時代に奉納されたものだと思われる。




玉山稲荷社 本殿の建築様式・特徴

玉山稲荷社の本殿は、玉垣の奥にある、彩色を施さない白木造(しらきづくり)の建物で、建築様式は、「一間社流造」です。

一間(いっけん)とは、正面の柱と柱の間、「柱間(はしらま)」が1つ、つまり、正面の柱が2本という意味で、建物の大きさを表します。

流造(ながれづくり)は最も一般的な神社の本殿形式です。

屋根の特徴

屋根の斜面が前後に向いている「切妻造・平入り」の建物で、前方の屋根が長く、そのまま向拝(こうはい・ごはい)と呼ばれる庇(ひさし)になっているのが特徴です。

前方の屋根が流れるようであること、または、屋根と庇が一連の流れになっていることから、「流造」と呼ぶのです。

伏見稲荷大社の本殿も、この流造ですが、大きさは五間あります。

なお、流造の社殿の屋根には、千木(ちぎ)や鰹木(かつおぎ)が乗っていることも多いのですが、玉山稲荷社にはありません。

猪目懸魚

左右に回り込んで見ると、「懸魚(けぎょ・げぎょ)」という妻飾りが見えます。

こちらは「猪目(いのめ)」と呼ばれるハートマークのような形がくり抜かれているため、猪目懸魚と呼ばれるもので、伏見稲荷大社の本殿にもあります。

玉山稲荷社の屋根。猪目は見えづらいですが・・懸魚が4つも付いています。
伏見稲荷大社・本殿の屋根。形も装飾も、玉山稲荷社の屋根と似ています。

猪目は日本古来の図柄です。

このハートのような形の由来には諸説ありますが、猪目と呼ぶ場合、それは「猪の目」を意味しています。

イノシシの・・目・・?

獣の目力を備えた図柄ということで魔除け、そして招福の意味合いがあると言われ、寺社仏閣の飾り金具や仏具、懸魚などに、よく用いられています。

イノシシは山火事が起こると一目散に逃げるということから、火除けのまじないという説もあります。

菊紋が用いられている理由は?

上掲の、玉山稲荷社や伏見稲荷大社本殿の屋根の写真をご覧いただければわかりますが、玉山稲荷社を含め、境内には、菊の紋が多く見られます。

伏見稲荷大社は稲紋を神紋としているのに、皇室をイメージさせる菊花紋がたくさん用いられているのには、何か理由があるのでしょうか?

これは、伏見稲荷大社が旧・官幣大社(かんぺいたいしゃ)であるためだそうです。

官幣大社とは、「官」、つまり、国(朝廷)から幣帛(へいはく:お供え物)あるいは幣帛料を受け取っていた神社です。

官幣大社は、戦後、1946年まであった社格制度の筆頭に位置する格付けの神社で、東京の明治神宮や愛知の熱田神宮、奈良の春日大社、大阪の住吉大社なども含まれていました。

この菊の紋は、朝廷・天皇とつながりがあったという証なのです。




玉山稲荷社の内部・軒下

内部・手前部分には、稲荷大神の眷属(けんぞく:血族)である2体の狐像が左右に祀られています。

その奥に観音開きの扉が見えますが、この奥に御神体があるものと思われる。

社殿自体に彩色はなく、質素な雰囲気ですが、蟇股や虹梁などに華やかな装飾的彫刻も見えます。

軒下の水引虹梁とその両端に木鼻の獅子、柱上には連三斗を据える。

蟇股部分の鶴に乗った老翁の彫像は、老翁姿の稲荷の神がモチーフなのか?

ただ、鶴は仙人の乗り物とされるが、稲荷の神だとするならば鶴ではなく、白狐がくるのでないか?‥‥などという素朴な疑問が生じる。

気になるのは几帳面どりされた柱上部の粽(ちまき)だが、伏見稲荷大社境内の殿舎のほとんどは和様式であるにもかかわらず、この部分だけ唐様の意匠がみられる。(奥の円柱は和様なのに前面の柱のみが唐様)

特に、装飾的な木鼻は、大陸の影響を受けた寺院の建築様式「大仏様」や「禅宗様」が元ですから、大陸的、あるいは仏教的、そして近世・近代の神社本殿建築らしい特徴と言えます。

玉山稲荷社の両脇には供物所と神馬舎がある

供物所

関連記事:

神馬舎

玉山稲荷社の場所

玉山稲荷社は、権殿脇の石段を上り切った正面に鎮座しています。

向かって左隣には稲荷山に鎮まる神々にお供えをする供物所が、右隣には神馬舎があります。

玉山稲荷社前から右側へ進むと、千本鳥居に到着します!

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