藤森神社の歴史(起源や名前の由来)

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京都・藤森神社

京都・藤森神社

創建年

  • 不明
  • 推定:203年頃(神功皇后摂政3年)
本殿の創建年

  • 1712年(正徳2年)
建築様式(造り)

  • 切妻造
屋根の造り

  • 檜皮葺
御祭神

  • 須佐之男命(主)
  • 別雷命
  • 日本武尊
  • 応神天皇
  • 仁徳天皇
  • 神功皇后
  • 武内宿禰
  • 舎人親王
  • 天武天皇
  • 早良親王
  • 伊豫親王
  • 井上内親王
発願者

  • 神功皇后(草創)
  • 中御門天皇(本殿)
藤森神社のご利益

  • 勝負運の向上
  • 馬に関する職業の繁栄

藤森神社の読み方

藤森神社=「ふじのもりじんじゃ

「ふじもりじんじゃ」と読まれる方も多いのですが正式名ではなぅい。

藤森神社の歴史

その昔、上記で少しご紹介した神功皇后と言う男勝りな女性天皇がいました。

神功皇后は神託を得て、自らが軍を率いて朝鮮半島の新羅(しらぎ)と言う国へ、遠征に繰り出していました。

その後、新羅だけではなく高句麗、百済といった朝鮮の大国をも降伏させ、事実上、朝鮮半島の制圧に成功します。

神功皇后は、朝鮮から日本への帰りに、山城国は深草の里の「藤森」を選んで、藤森へ立ち寄ることになります。

そして、藤森の地に自らの武具と王旗(軍旗)を埋めて塚を築いて奉じました。

藤森神社の社伝によると、この神功皇后が築いた塚が藤森神社の起こり(起源)だと云われております。

実は現在も、この時、神功皇后が築いたとされる塚が現存しており、ちょうど本殿の東に位置する「旗塚」が上述の塚にあたると云われております。

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