京都・伏見稲荷大社の歴史を年表付きで簡単に説明!「由来や造った理由・造った人は誰?」

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京都・伏見稲荷大社の歴史を年表付きで簡単に説明!「由来や造った理由・造った人は誰?」

想定外の主祭神に驚いた。伏見稲荷大社の「歴史や由来」と「作った理由と作ったのは誰?」【年表付き】

京都・伏見稲荷大社の年表と歴史を簡単に説明!

711年2月7日(初牛の日)

伊侶巨秦公(いろこのはたのきみ)が、勅命を受けて、稲荷山にある三つの山の頂に稲荷大神を祀ったことで、これが伏見稲荷大社の起源となった。

816年(弘仁7年)

社殿が建設される。

827年(天長4年)

827年(天長4年) 稲荷大神に初めて従五位下の神階が下賜された。

908年(延喜8年)

藤原時平の寄進により社殿が造営される。

927年(延長5年)

名神大社(国家鎮護の社)叙せられる。

942年(天慶5年)

正一位の社格(神階の最高位)が授与される。

963年(応和3年)

都の巽(京都の東南の方角)を鎮守する神社として定められる。

1039年(長歴3年)

※二十二社の上七社に列される。

「上七社」とは、社の格式の順番のことです。

  1. 上七社
  2. 中七社
  3. 下八社

※国家の重大事が起こった時、朝廷から特別に奉幣を受けた22の神社のことを指す。

1072年(延久4年)

後三条天皇が初の行幸される。

1438年(永享10年)

後花園天皇の勅命により、室町幕府6代将軍足利義教が稲荷山山頂の稲荷大神の祠を山麓に移す。

1468年(応仁2年)

応仁の乱により、山上、山下の社殿の大半が崩壊

1499年(明応8年)

現在の本殿が復興する。

1868年(慶応4年)

廃仏棄釈(はいぶつきしゃく)が命じられ、社内の仏殿、仏像が廃される。

※廃仏棄釈・・・仏教・寺院・仏像・経巻を破棄して、僧侶や尼僧など出家した人や寺院が受けていた特権を廃止すること。

1871年(明治4年)

官幣大社(天皇直々の奉納品を受けるほどの大きな神社)に列される。

1946年(昭和21年)

「宗教法人・伏見稲荷大社」に改称。

京都・伏見稲荷大社の「名前の由来」と「稲荷大社ができた理由」

「稲荷」の言葉の由来と意味と起源

「稲荷神社」の「稲荷」の名前の由来とは、「山城国風土記(やましろこくふどき)という書物に記載されており、以下のような由来があります。

中国の秦の始皇帝の子孫とされる秦氏の末裔「秦伊呂具(はたのいろぐ)」という人物がいました。

秦氏は大陸の進んだ文化や技術を用いて、日本においても大出世を果たした氏族です。

例をあげれば聖徳太子の参謀を務めた秦河勝(はたのかわかつ)などの人物の活躍が有名であり、伊呂具はその子孫となります。

ある時、秦伊呂具が矢を射る的を探していたところ、餅を空へ投げて的とすることを思いつき、その餅を弓矢で射ようとしました。

そしていざ餅を投げて見事、餅を射止めるわけですが・・、なんと!突如、餅が白鳥に変化して山の向こうへ羽ばたいて飛んで行きます。

無題その後、その白鳥は小山に降り立ちますが、なんとぉぅっ!!不思議なことに白鳥が降り立った場所には稲が生えるのです。

後、この白鳥と稲に縁起を感じた伊呂具は、この場所に祠(ほこら)を建てて祀ることになります。

この祠こそが現在の伏見稲荷大社の前身であり、小山が現在の稲荷山だと云われています。

稲荷大社の”稲荷”の意味

上述したように「稲が生えた」という言葉の発音から、まずは「稲生(いなせ)」へと変化しますが、なんと!この稲はその後、瞬く間に周囲一帯に稲が生えたそうです。

つまり、稲が荷となるくらいの重量(=豊作)になったと解釈され、最終的に「稲荷(いなり)」と呼ばれるようになったと云われています。

しかし、この由来には諸説あり、一説では「飯(米)の種」から「稲を成らせる」の語源から「飯成り」⇒「稲なり」⇒「稲荷」となったとも考えられています。

ところで・・「山城国風土記」って何?

山城国風土記とは、山城(現在の京都府)の風土記ということになります。

風土記とは、奈良時代に用いられた一種の報告書のことで、主に天皇に献上するための地域の調査書になります。

詳しくは、奈良時代初期である713年(和銅6年)5月に、当時の天皇である「元明天皇」が、諸国の風土記の編纂(へんさん=編集)を命じました。

これにより「平安京遷都」以前の山城国の「文化」や「風土」、「地理状況」などが明らかにされ、これらの情報が隈なく記録された貴重な地誌となります。

京都 伏見稲荷大社を「造った人は誰?」

実は伏見稲荷大社の創建に関しては諸説あり、次のような説が挙げられます。

  1. 711年(和銅4年/奈良時代)2月の「初牛(はつうま)の日」に、「伊侶巨秦公(いろこのはたのきみ)=秦伊呂具」が帝の勅命により、稲荷山にある3つの山の頂に稲荷大神をお祀りしたことが起こりとされている。
  2. 弘法大師・空海が自らの寺院である京都・東寺(とうじ)の再建および五重塔造営時に木材が必要になり、稲荷山の木々を伐採することになった。その際、山の神を祀るために祠(ほこら)を築き、この祠が伏見稲荷大社の起源である。

ただ、現在までに伝わる通説では、伏見稲荷大社を造った人物、つまり創建した人物は「秦伊呂具=伊侶巨秦公」とされています。


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京都・伏見稲荷大社のご利益は「五穀豊穣」のみだった?!

伏見稲荷大社が「商売繁昌」や「家内安全」のご利益を得た本当の理由この伏見稲荷大社は当初、「五穀豊穣の神様」として崇敬が寄せられていました。

しかし現在に至っては、「五穀豊穣の神様」以外にも、以下のようなご利益があるとされ、全国的に有名になっています。

  • 「商売繁昌(しょうばいはんじょう)」
  • 「家内安全(かないあんぜん)」

伏見稲荷大社が「商売繁昌」や「家内安全」のご利益を得た本当の理由

伏見稲荷大社が、「商売繁昌」や「家内安全」のご利益を得た理由は、伏見稲荷大社と縁深い弘法大師・空海(こうぼうだいし くうかい)という人物自体が「商売繁昌」や「家内安全」のご利益があると信じられたためです。

この理由の詳細は以下のような話になります。

弘法大師・空海と東寺の興り

弘法大師・空海が遣唐使(けんとうし)として、中国・唐へ最澄(さいちょう)らと共に日本を出国した話は有名です。

中国へ渡った空海は密教の総大将「恵果(えか)」と面会を果たし、弟子入りして修行することになります。

修行を終えた空海は、恵果から自らの後継者に任ぜられ、密教の奥義を授けられます。

すなわち全世界の密教の総大将となったわけです。

後に空海は高野山へ入り、現在の壇上伽藍(だんじょうがらん)金剛峯寺(こんごうぶじ)を創始します。

ただし、すぐに高野山を開創したのではなく、唐から日本へ帰国した後、数年は天皇や朝廷から依頼された仕事に従事することになります。

その一環として、国内の治水工事や寺院の造営などの仕事もこなすことになります。

これらの仕事を順調にこなす空海を天皇や朝廷は頼もしく思い、特に嵯峨天皇からは絶大な信任を得ることになります。

そして827年、空海50歳の時、嵯峨天皇は朝廷(国家)で管理していた京都・東寺(とうじ)を、独断で空海に与えることになります。

空海は授与された東寺を自らの手で再建・改修することになりますが、「とある理由」で稲荷山(伏見稲荷大社)を訪れることとなります。

空海が京都・伏見稲荷大社へ訪れた理由

空海が稲荷山(伏見稲荷大社)へ訪れた理由は、上述したように東寺の伽藍(境内)再建や五重塔造営に際して大量の材木が必要となったためです。

空海は自らの布教活動の中心地に東寺を据えるため、堂舎の造営や再建(改修)が急務でした。

そこで空海は天皇の許可を得て、稲荷山に群生する木々を伐採し、伽藍再建の材料とします。

しかしご存知の通り、稲荷山には「稲荷大神」が鎮座しています。

稲荷大神は当然、自らの山の木々を伐採しようとする空海の様を見て激怒します。

しかし瞬時に稲荷大神の怒りを悟った空海は、急ぎ、稲荷大神のもとへ赴き、東寺および真言宗全体の守護神として祀りたてて崇拝することを誓います。

この他、例祭を定め、神輿を担ぎ出し街中を巡幸することも約束します。

こうしてなんとか稲荷大神の怒りをおさめることに成功するのです。

東寺とは?
嵯峨天皇から空海に下賜(かし/=与えられた)された京都市南区(京都駅付近)に位置する寺院のことをいいます。
要するに空海の個人の所有となったお寺です。
空海によって”超”が付くほど有名になった伏見稲荷大社

当時の空海は、国民に大変な人気がありました。

人気の理由は、空海が国の様々な土木事業に従事し改革していたからです。

その他、真言宗の布教活動を行い、人々の内面(心)も救済したからです。

そんな国民的人気を誇る空海が伏見稲荷大社に鎮座する「稲荷大神」を、東寺だけではなく、自らの宗派「真言宗」の守護神と定めたことは大きなスクープとなりました。

このことは天皇の耳に入り、そして次第に国民へと広まって行きます。

その後、天皇が直々に稲荷大神へ参拝するために、伏見稲荷大社へと足を運ぶことになりました。

その噂は民衆へも広がり「天皇もお参りするほどの崇高な社である」と評され、日本全体の民衆に対しても稲荷大神の名前が知れ渡ることになります。

『伏見稲荷大社が商売繁盛、国家安泰のご利益がある理由』

以上のようなことから、民衆はやがて空海自体に「国家安泰」「商売繁盛」や「家内安全」「諸願成就」といったご利益があると信じるようになっていきます。

このようなご利益を持つ空海と、守護神として崇拝する稲荷大神が持つ五穀豊穣のご利益が徐々に習合していくことになります。

こうして現在のように「五穀豊穣」の他、「国家安泰」「商売繁盛」や「家内安全」「諸願成就」などのご利益もあるとされています。

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