伏見稲荷大社「千本鳥居」
高さ
- 約2m
柱の直径
- 15㎝から30㎝
両柱の幅
- 約2.5m
千本鳥居の各隙間
- 10㎝から20cmほど
鳥居の形状
- 明神型鳥居
鳥居の材質
- 木製(ヒノキ・杉など)
奉納者
- 日本全国の崇敬者
施工者
- 伏見稲荷大社
拝観可能日・時間・料金
- 年中無休・終日拝観可能・拝観料金無料
まず、鳥居(とりい)とは??
主に神社において、神域と人間の住む俗界とを隔てるための「門」であり結界の事です。通常は鳥居をくぐる前に一礼し、それから本殿へと参進します。
参拝し終えた後も、鳥居の前で一礼してから鳥居を出ます。
基本的には、本殿まで続く鳥居はすべてくぐり抜けて、本殿へお参りするのが決まりとなっています。
鳥居の意味
「鳥居」という言葉は、以下のように言葉が転じて使用されるようになったものだと言われています。
- 「鳥が居る」→鳥居
- 「とおりいる(通り入る)」→鳥居
- 「高欄の鳥居桁から転じた」→鳥居
「トリイ」という言葉は、奈良時代には確認されています。
上記の説の中でも有力とされるのが、「高欄(こうらん/手スリ)」も鳥居の形状と似ていることから、高欄の上にある「鳥居桁(架木)」という部品の名前を取って「トリイ」と呼称するようになった」というものです。
千本鳥居の場所「どこから、どこまでが千本鳥居??」
伏見稲荷大社の千本鳥居は、境内奥の稲荷山の向かって右側、中腹に並んでいて、おおよそ10分あれば充分にくぐり終えることができます。
厳密には、「奥宮(おくみや)」から「奥社奉拝所(おくしょほうはいしょ)」への山道に連続で造営されている鳥居が「千本鳥居」です。
伏見稲荷大社・稲荷山の地図
項・一覧
- 1 伏見稲荷大社「千本鳥居」
- 2 まず、鳥居(とりい)とは??
- 3 千本鳥居の場所「どこから、どこまでが千本鳥居??」
- 4 千本鳥居は本当に千本あるの?「千本鳥居の実際の数」
- 5 江戸時代の伏見稲荷大社には「鳥居」もなければ「お塚」までもなかった?!
- 6 千本鳥居と呼ばれる鳥居が明治時代から盛んに奉納され始めた理由とは?
- 7 伏見稲荷大社の鳥居の総数・・「1万基」って数、ホント??
- 8 ところで千本無ぃのに「千本鳥居」と呼ぶ?語源や意味とは?
- 9 千本鳥居の鳥居の長さ(距離)ってどのくらい??
- 10 千本鳥居の通り方
- 11 鳥居は表側と裏側で見え方が異なる??
- 12 千本鳥居の朱色には意味があった?!
- 13 鳥居を奉納する理由
- 14 千本鳥居の奉納料金(値段)
- 15 ところで‥‥千本鳥居の耐用年数は何年ぐらい?
- 16 千本鳥居を夜間に通ると..本当に幽霊が出て神隠しに会う??
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千本鳥居は本当に千本あるの?「千本鳥居の実際の数」
千本鳥居の数については、こんな歴史があります。
江戸時代、江戸で商売を営んでいた呉服屋・越後屋の「”三井八郎右衛門高富”(後に子孫・三井高福が三井財閥=三井銀行を創立させる)」が、ある時期から業績不振に陥ります。
そこで商売繁盛を願って伏見稲荷の江戸の分社「三囲稲荷社 (みめぐりいなり/ 三囲神社)」へ熱心に参拝し、その結果、後世に名を残すまでに商売が大繁盛しました。
この話はまたたく間に江戸から日本全国へ広まって稲荷信仰に火が付き、日本全国の商売人たちはこぞって身近なお稲荷さんへ参拝し始め、中には鳥居を奉納する者も現れました。
もちろん、この伏見稲荷大社(かつての伏見稲荷神社)へも鳥居が奉納されるようになり、鳥居の数が急激に増加し始めます。
1900年代(明治時代)には、もともと境内の入り口付近にしかなった鳥居が、現在の稲荷山へも立てられるようになり、約600基の鳥居が確認されています。
その後、時代を下るに従って鳥居奉納の申し込みが増加し、現在の千本鳥居の数は実際には「850基前後」と言われます。
ところで、昭和30年頃を境に、伏見稲荷大社には「太い柱を備える鳥居」も奉納されるようになっていったそうです。
太い鳥居が奉納されるようになったことで、鳥居を奉納する場所が減り、鳥居の総数も、依然と比べて減少したと言われています。
尚、伏見稲荷大社の境内全体(稲荷山含む)では、約1万基の鳥居があるとされています。
台風などの自然災害で一時的に減少することもある
たとえば、伏見稲荷大社では2018年(平成三十年)の台風12号、20号、21号の影響により、鳥居が多数、倒壊したらしい。
もし台風後に鳥居の数をカウントしてブログやSNS媒体などへ掲載した者がいるとするならば、それらの数の正確度は低い。
江戸時代の伏見稲荷大社と千本鳥居の様子
江戸時代末期の1864年(元治元年)に刊行された『花洛名勝図会(からくめいしょうずえ)』には、「三ケ峰麓・稲荷社」として、当時の伏見稲荷大社の様子が描かれています。
画像引用元:国際日本文化研究センター
千本とは言いませんが、この頃には既に、多くの鳥居が奉納されていたことがわかりますね。

【補足】明治時代の千本鳥居の様子
明治時代にも現在の同じように左右に分かれていたことが分かります。ただ、写真をご覧になれば分かる通り、「右側通行」などの看板が見えないため、現在のように右側通行という決まりはなかったと思われます。
明治時代の千本鳥居を見て気づくのが鳥居と鳥居の隙間が多いという事実です。
おそらく時代を下りながら現今に見られるように建てる隙間がなくなるほど増えていったのでしょう。予約待ちになるというのも納得ができます。
江戸時代の伏見稲荷大社には「鳥居」もなければ「お塚」までもなかった?!
現在の伏見稲荷大社の奥にそびえる稲荷山には鳥居以外にも無数にあるモノがあります。
なんだかお分かりになりますか?
そんなものタイトルに書いとるやないけ!と、まぁそう言わずに。
そうです。「お塚(石塚)」です。
実は稲荷山に石塚が数多く奉納されるようになったのもごく最近のことで、千本鳥居と同じで江戸時代後期〜明治時代になってからのことです。
千本鳥居と呼ばれる鳥居が明治時代から盛んに奉納され始めた理由とは?
では、太閤秀吉を例として、江戸時代以前も時の権力者たちが篤い崇敬を寄せていた伏見稲荷大社には、いったいなぜ鳥居が奉納されなかったのか?についてですが、実は江戸時代の稲荷山は幕府が直に所有する直轄地だったからです。
幕府が直轄地とした理由は稲荷山では数多の松茸が採れたそうで、さらにそれを後押しするように幕府が松茸の繁殖をさせていたからです。
幕府の直轄地ということは、一般人が稲荷山に入ることは叶わず、一歩入っただけでも不法侵入罪で首をハネられてもおかしくはなかったワケです。すなわち「禁足地」とされていたということです。
しかし、江戸幕府が倒れて明治政府が樹立されると、これまでとは打って変わり、一般人も参拝に訪れた際、稲荷山に入ることができるようになり、勝手に願をかけた石や鳥居を奉納する人まで出没しはじめます。
人々が石や鳥居を奉納した理由は、これまでの仏教主体の思想から→神道主体の思想へと変わり、伏見稲荷大社が益々、人々の信仰の念を集めるようになったからです。
1902年(明治35年)に行われた調査によれば、奉納された塚はすでに632基に及び、この頃から石塚に比例する形で鳥居も多数、無断で建てられはじめます。
そして1915年(大正4年)には、第一次世界大戦の大戦景気(大正バブル)の煽りを受けて、さらに爆発的に石塚や鳥居が無断で建てられはじめ、ついに1924年(大正13年)には伏見稲荷大社は石塚および鳥居の新設を禁止する「お触れ」を出すほどにまで至っています。
しかし「お触れ」だけでは効果が認められず、結局その後も増え続け、昭和時代に入ると社地(境内地)が拡大されたことも相まって、さらに加速的に奉納が増加し、今日の様相に至るというワケです。
【参考】石塚の数の変遷
鳥居も石塚と比例して時代を経るごとに増加しているので参考にしてください。
- 1902年(明治35年)の調査:632基
- 1933年(昭和7年)の調査:2254基
- 昭和40年代の調査:3322基 + 麓(ふもと)や周辺にも4440基
※参考文献:「伏見稲荷大社御鎮座一千三百年史」
伏見稲荷大社の鳥居の総数・・「1万基」って数、ホント??
1万基の鳥居については、2010年(平成22年)に実際にカウントされた方がいて、この方の調査では「3380基」であったそうです。
つまり、実際には1万基も無かったという事になります。
ただし、1日に約3本のペースで修繕されている他、新たに造営(奉納)されているものもあるので、数には当然変動があるものと思われます。
ところで千本無ぃのに「千本鳥居」と呼ぶ?語源や意味とは?
ちなみに「千本鳥居」という言葉の語源は「千本ある鳥居」という意味合いではなく「数えきれないほど多い」という意味です。
江戸時代では、数が多すぎて驚いた時、それを表現するために・・「そりゃもぅよぉ、てぇ~へんな話でよぅ、なにせ「千」ほどもあったってぇ話だぜぇ、旦那ぁ」
‥‥こホんっ。
と、まぁこんなニュアンスで会話をしていたものと思われます。
千本鳥居の鳥居の長さ(距離)ってどのくらい??
千本鳥居の長さ(距離)はおよそ400メートル程度、足元の階段の数は、約1300段と言われております。
稲荷山全体では4キロ程度の長さ(距離)になりますので、その10分の1くらいということになります。
千本鳥居の通り方
朱色の美しい千本鳥居は、何といっても伏見稲荷大社のシンボルのような存在であり、現在はインバウンド需要も相乗し、平日でも非常に混雑しています。
伏見稲荷大社ではこの緩和対策として、「右側通行」という決まりを設けています。
案内もありますので、ルールはキチンと守って参拝・観光を楽しみましょう。
ただ、ルールに縛られずにマイペースで楽しみたいなら、平日の早朝8時以前か、夜18時以降に訪れるのがおすすめです。
夜の千本鳥居は灯篭に明かりが灯り、鳥居の鮮やかな朱色に反射して、より幻想的で美しく見えます。
昼間の千本鳥居とはまた違った姿を見ることができますよ。
鳥居は表側と裏側で見え方が異なる??
実は、千本鳥居は表側から見るのと裏側から見るのとでは見え方が異なります。
鳥居の1つ1つには、裏側に寄付した人の名前(会社名)や住所が刻まれており、京都だけに留まらず全国の崇敬者から奉納されていることがわかります。
あなたも是非、稲荷山を登りながら後ろを振り返ってみてください。
鳥居を奉納した個人名や住所、他にも会社の名前や住所の墨書きが視認できます。
ひょっとすると‥‥‥中には意外な人の名前や、有名人、あなたも知っている有名企業の名前を発見できるかもしれません。
千本鳥居の朱色には意味があった?!
千本鳥居をよく見ると分かりますが「白色」の鳥居があったり、鮮やかな朱色をした鳥居があったりします。
元の千本鳥居は色艶鮮やかな朱色ですが、これが年数を経て劣化しはじめると色がハゲてきて最後には白色の鳥居になります。
ちなみに千本鳥居の「朱色」の意味や由来があるのをご存知でしたか?
諸説ありますが、稲荷大社の公式HPによると「魔力に対抗する色」と記されてい‥‥‥申す。ひゃ
神様の霊力が高まる色だとも
他にも古来、神様がもっとも御神力を高めることができる色であるとも言われています。
防腐剤の役割もある?
それと朱色の正体である「朱」の原材料が「水銀=丹」であることから、木の耐久度を高めるための「防腐剤」としての役割りが備わっているいうのも理由の一つに挙げられます。
なお、伏見稲荷大社の社伝によれば、この朱色は伏見稲荷独特の色合いのため、古来、「稲荷塗(いなりぬり)」と称されているようです。
鳥居を奉納する理由
江戸時代は現在とは違って、願いが成就してから鳥居を奉納したそうです。
最初はもっとも小さいサイズの鳥居を奉納し、願いが通る(叶う)たびに鳥居を大きくして奉納したそうです。
この風習は当時、全国規模にて展開しており、遠方からでも総本宮である伏見稲荷神社へ鳥居を奉納するのが習わしであったらしい。
やがて、時代の流れと共に全国の崇敬者から奉納された鳥居が増えていき、現在の規模になったということになります。
近代に至っては上記のような理由にかかわらず、たとえば会社を設立した際に会社の興隆を祈願して鳥居を奉納したり、何かの記念日や景気づけに鳥居を奉納したりと、奉納する理由は多岐に渡っているようです。
なお、現在の鳥居奉納は「予約待ち状態」で、さらに鳥居を建てる場所が無いとの理由で、一旦、募集を締め切っています。(4年~5年間隔で再開)
ただし、状況により変更になる可能性もあると思われますので、奉納したい方は下記、伏見稲荷大社の社務所へ要確認💘
千本鳥居の奉納料金(値段)
千本鳥居は大きさによって奉納する料金(初穂料)が異なります。
鳥居の大きさ (サイズ)
※1号の大きさが3㎝
- 5号(直径:15㎝):175,000円
- 6号(直径:18㎝):383,000円
- 7号(直径:21㎝):482,000円
- 8号(直径:24㎝):708,000円
- 9号(直径:27㎝):826,000円
- 10号(直径:30㎝):1302,000円
他にも、奉納する場所によっても値段(料金)が異なってきます。
ところで・・千本鳥居は一般人でも申し込み可能?
上記の金額を見て、一般の個人には少々縁がないように思われますが、伏見稲荷大社のホームページによると「一般の方でも申し込み可能」と記されているので奉納を受付されていることになる。
既述のとおり、奉納までは順番待ちとはなりますが、鳥居を建てたい方は一度、伏見稲荷大社へ確認してみてはいかがか。
鳥居奉納の受付場所
伏見稲荷大社・社務所(管理課)
- 受付時間:午前9時から午後4時まで
- 電話番号:075-641-7331
稲荷山神蹟の茶所
- 受付時間:茶所の営業時間によって異なる。
鳥居奉納までの流れ
申し込み
↓予約
↓奉納金支払い(鳥居造営準備)
↓鳥居造営開始
↓
完成(奉納)
ところで‥‥千本鳥居の耐用年数は何年ぐらい?
千本鳥居の耐用年数は4年から5年ほどだそうです。
その時期が来れば修繕を行うようです。
千本鳥居を夜間に通ると..本当に幽霊が出て神隠しに会う??
実は、伏見稲荷大社の千本鳥居は「心霊スポット」としても、有名な場所となっています。
霊感がある人だと「何か」を感じる場所・・らしいのです。
例えば、インターネットを見てみると「千本鳥居 怖い話」とか「千本鳥居 心霊」などのキーワードが検索されています。
中には、この千本鳥居を写真で撮ったら、霊らしきものが映っていたとの報告もあるようです。
他にも、友達と夜に伏見稲荷へ行って、途中の山の中でその友達とハグれてしまい、翌日の夕方頃友人が自宅へ帰ってきたが、伏見稲荷へ行った記憶を失っていた、という話もあります。
「ひょっとしたら、・・これが神隠し?」と、いったような情報も散見されます。
霊感がある人から言わせると「興味本位で夜に行ってはいけない」などとも囁かれているようです。
これはおそらく、この千本鳥居が俗世から→神様が御座する「幽界」や「神界」への関門などという、神秘的な意味に受け取られ、そのような俗信が広まっているのではないかと思われます。
是非、「怖い場所」という見方をせず、神様がいる場所に通じる「神聖な場所」という認識を持って、千本鳥居をくぐっていただきたいと思います。