伏見稲荷大社🦊の神様のご利益とは??

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伏見稲荷大社🦊の神様のご利

伏見稲荷大社でお祀りされる神様は元来、「宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)」と呼ばれ、今日では稲荷大神として知られる。

なお、厳密に「稲荷大神」の定義としては、宇迦之御魂神を中心とした以下、五座の神の総称とされる。

  1. 宇迦之御魂大神(中座・うかのみたまおおかみ/下社)
  2. 大宮能売大神(脇座・おおみやめのおおかみ/上社)
  3. 佐田彦大神(脇座・さたひこのおおかみ/中社)
  4. 田中大神(最脇座・たなかのおおかみ/下社摂社)
  5. 四大神(最脇座・しのおおかみ/中社摂社)

稲荷の神は元来、食物の神、五穀豊穣の神として特に農業関係からのひときわ熱き信奉が寄せられてきたが、現今に至っては次のようなご利益もあるとして世に知られる。

  • 商売繁昌
  • 家内安全
  • 国家安泰

伏見稲荷大社が「商売繁昌」や「家内安全」のご利益を得た本当の理由

伏見稲荷大社の5柱の神様のご利益

「田中大神」

「田中大神」は「食物の神様」です。ご利益は「五穀豊穣」です。

「四大神」

「四大神」は「農業の神様」とされています。ご利益は「農業繁栄」です。

「大宮能売大神」

「大宮能売大神」は「巫女さんの祖先神」です。ご利益は「芸能の向上」「接客業の繁栄」です。

「佐田彦大神」

「佐田彦大神」は「猿田彦神のことである」とされています。ご利益は開運招福です。

「宇迦之御魂大神」

「宇迦之御魂大神」は、別称・保食神。つまり「食物の神様」です。ご利益は五穀豊穣・農業繁栄です。

しクぁし、ここで次のような疑問も生じる。

『いったい、いつ頃からご利益の種類が増えたのか?』

本項では稲荷の神のご利益の変遷を歴史上の観点からせまってみたいと思ふ。フフフっ

平安時代の稲荷社のご利益

南北朝時代に編纂された稲荷記によると、稲荷神は本来、福徳敬愛の本誓(ほんぜい)があるとし、主に復縁の利益で知られていたらしい。

やがて男女の縁結び❤️の神としても信奉されるようになり、院政時代になってからは貴族を中心に娘の入内(じゅだい/輿入れ)や、母后のさらなる出世・高位を祈願する神となった。

朝廷より祈雨・止雨の神とも崇められた

稲荷大神は852年(仁寿二年)に祈雨(きう)の神として朝廷より奉幣を受け、その7年後となる859年(貞観元年)には止雨(しう)の神として朝廷より奉幣を受けた歴史を有する。




平安期以降の稲荷神のご利益

平安期が去って鎌倉・室町になっても稲荷の信仰は武家・庶民の間で全国的に拡大したが、その拡大の根源となっているものに現世利益がある。

いつしか稲荷神は恋愛・結婚、出産、立身出世・仕事運などの霊験があるとし、稲荷行者や稲荷勧進僧たちの活動によって全国的に広められた。

特に稲荷神は眷属として龍蛇を随伴させていたが、その龍蛇信仰からキツネ信仰を経て、性愛を司る神「荼枳尼天(だきにてん)」と結びついたことは大きな変容をもたらした。(稲荷神社におけるキツネの尻尾とは男根を意味するという説もある)

江戸時代には家内安全の守護神となった

稲荷行者や稲荷勧進僧たちによって全国的に広まった稲荷信仰は、中世に確立された密教的尊格を有する神として、現世安穏・後生善処、福徳、敬愛、富貴(ふうき)などの得益があるとされ、よりいっそう民間層に広まった。

江戸時代になると様々な都市伝説じみた噂話が流布したが、特に民間に広まった俗信の中に「キツネ憑き」がある。

民衆はそのような未知的事物を解消すべく神仏にすがったが、やがて日蓮宗や法華宗などの宗派では民衆を救済すべく、新たな教義が芽生えはじめる。

これらの宗派では稲荷神が五穀豊穣のほか家内安全の守護神でもあるとして寺内でも奉祀するようになり、寺院が先導する形で民間層にまで広まると、やがて神道系の稲荷社へも伝播し、陰陽師がにわかに勃興した。

稲荷神は農業神・屋敷神・土地神でもある

江戸時代も中期頃になると宅地開発が進み、新たに出来た土地に稲荷の神を”感情”がゆさぶられるほどに”勧請”し、土地神or家が建ってから屋敷神としてそのまま奉祀された。

主に稲荷神を屋敷神として勧請・奉祀したのは大名や旗本、有力商人たちだったが、彼らを通じて世間に広まると、下級武士や民間でも信奉されるようになる。

稲荷神を奉祀した武士たちは屋敷神として家内安穏のほか、自らの立身出世(当時の社会は米の収穫量を基本とした石高制社会だったので五穀豊穣を祈念しつつ立身出世を願った)、武運長久、無病息災、子孫繁栄ほか、火事が多かった江戸市中においては火難除けをも祈願した。

固有名詞で呼ばれはじめるとさらに利益の種類が増えた

江戸中期から末期頃になると各屋敷に屋敷神として祀られていた稲荷の中でも立身出世or病気平癒などの際立った霊験で知られるようになると、別地に独立して奉祀されるようになり、多くの民衆から信奉が寄せられるようになった。

一例

福寿、長寿、子安、治病、瘡守(湿疹治癒)、立身出世、開運、疝気….etc




稲荷信仰の霊験譚

病気平癒

1177年〜1181年(治承年間)、高博なる人物が母の重病を治癒すべく、一週間、稲荷社に参籠し、最後の夜、高博は「上玄石象」と呼ばれる琵琶の曲を奉奏した。

すると神前の灯明が今にも消えようとしていた真夜中過ぎ、宝殿の扉が開いて一人の童子が幻出し、灯火を灯明に灯すとスぅ〜っと姿を消した。

高博はこれを奇瑞として翌日、半信半疑で祈りながら家に帰った。すると思ったとおり、母ジャの病は嘘のように癒えていたという話。

半身不随・盲目の快復

同様に幾度も稲荷社へ足を運び、熱心に祈念したところ、息子の半身不随が快復に到ったという話。

特に盲目に関しては稲荷山内のお塚を以って「眼力大神」という神が奉祀されているように稲荷社自体にも盲目平癒の霊験譚も残されてい‥申す。きゃ

生来病弱が生来強健として生まれ変わる

京都・山科のとある里に裕福な夫婦が暮らしていたが、夫婦の一人息子が”10秒”で、おっ死んじまぅほどの”重病”を患ぃ、余命わずかと診断された。

二人は最後の手段として稲荷社へ毎日社参し、息子の病気快復を熱心に祈念した。

そして17日経ったある夜、二人の夢枕に老翁が立ち、二人にこぅ告げた。

『運命とは皮肉なもの。変えられない。ただ、来る日も来る日も悲嘆に明け暮れるお主たちはあまりに不憫。そこで息子の助命を叶えるとする。もぅ心配はなぃ。フぉーーーっ』

あくる朝、両親の肩を揺さぶり、腹が減ったから膳を用意して欲しいという息子の姿がそこにあった。

息子は用意された膳を平らげながら、昨夜、自分の夢の中に獣が現れ、朝、僕が目覚めるまで額を撫で続けていたと告げた。

夫婦はそれが稲荷神の眷属であるキツネであることを察すると、涙を流して深く感謝し、以来、家族ぐるみで稲荷の神を深く信奉するようになった‥‥という話。

富貴・福徳・立身出世

丹波国は桑田郡・宮傍(みやわき)の長者の家の奉公人であった弥吉は心根優しく実直な人間として知られていた。

ある時、屋敷を訪れた貴人より「自らが立身出世できたのは稲荷の神を信じたからだ」という話を聞かされ、弥吉はすぐさま「どうすれば良いですか?」と聞き返した。

すると貴人はこぅ告げた。

「稲荷の神は赤飯を好む。お前のような奉公人には赤飯など用意できまぃ」

弥吉はそれでも信仰を止めなかったが、しばらく経ったある日のこと、長者屋敷を訪れた知恵者にこの話をしたところ、知恵者はこぅ告げた。

「稲荷の神は信仰心ある者の供物であれば、普段の食事を分け合った粗末な物でも納受してくださる。心が肝心❤️」

弥吉はそれ以来、毎日、自らの食事を少し取り分けて稲荷神の神前へ供するようになった。

星霜経て二十歳になった弥吉は長年の夢であった稲荷の神が座す、伏見へ社参したぃ旨を主人へ告げ、主人はそれを許可した。

伏見詣を無事に終えた弥吉は、その帰途、桂川にさしかかった橋の袂で威容感ただよぅ老翁と対面した。老翁はすれ違いざま弥助に向かって小声でこぅ告げたのだった。

「お主の長年の信仰心はしっかりと受け取っておる。今日はここから安心して帰りなされ。ふぉぉぅ!」

弥吉は振り向いたが、そこに老翁の姿は無かった。

一方、弥吉が伏見へ出かけている間のある日の夜、長者の家では長者の夢枕に高貴な老人が現れてこぅ告げてぃた。

「弥吉を、お主の程よくピチピチとした娘っ子の婚約者に選ぶと家をますます繁栄させる。家は末代まで栄えるじゃろぅ。ふぉぉ〜!」

長者はそれが弥吉が深く信奉する稲荷の神だと察すると、弥吉が家に着くなり程よくピチピチとした我が娘っ子の婿とした。

こぅして弥吉は生涯安楽で暮らせる身分となり、程よくピチピチとした長者の娘っ子とピチピチとはちきれんばかりに幸せに暮らした‥‥といぅ話❤️




会社の業績が上向きになった話

経営者のK氏は自らが興した会社ではなく、祖父の代から続く会社の世子として3代目の組長‥‥ではなく、社長!だった。

社屋は古く、隣地の稲荷社の鳥居をくぐらなければ入れないよぅになっていたが、3代目を継いだ時から鳥居をくぐるたびに獣が棲みついていそうな異様な雰囲気を感じてい申した。はひょ

そこで友人に相談してみたところ、「お稲荷さんだけに油揚げをお供えしてみてはどぅだろぅ」とアドバイスを受け、さっそく油揚げを供えてみたところ、鳥居を出よぅとしたところで「おだんご」と誰かがつぶやいたよぅに思えた。

気のせいだと思ってはいたが、翌日、M氏は念のため、「団子」を供えたところ、やはり鳥居を出たところで今度は「卵」と聞こえた気がした。

そこで翌日、卵を供えたところ、鳥居を出る時に感じた声もなくなり、それどころか翌日以降、獣の気配が綺麗サッパリと消えた。

以後、”不審”者に嫌がらせされたかのごとくに”不振”だった会社の業績は好転しはじめた‥‥‥という話。

「稲荷大明神利現記」に記される稲荷の神の恐ろしい祟りとは?

稲荷信仰を邪教とする人々や団体も存在した

江戸時代、稲荷信仰の広まりとともに信仰自体を危険視する人々・集団も存在した。

稲荷の神は五穀豊穣をはじめとした家内安全、福徳を授ける神ではあるものの、ひとつ間違えると下記のような恐ろしい祟りをもたらす神であるエピソードも残されてい‥‥申す。ひゃ(”恐怖”だけに)

悪者には天罰を下す

駕籠屋の佐吉は、元来、神仏を恐れず、わがままし放題の無法者だったが、ある時、稲荷の神へ詣でる人を駕籠に乗せ、旅話や稲荷の神の話を聞いた。

その後、佐吉は稲荷の神の眷属でもあるキツネが暮らす穴ボコへ行き、杖を突っ込んでこのような言葉を吐き捨てた。

「俺は毎日ヘトヘトになるまで駕籠に人を乗せて運んでいる間、お前たちはジっとそこ(穴)にいるだけで供物がもらえて良い身分だな」

その日の夜、佐吉は何かに取り憑かれたかのように乱心し、このような言葉を吐き捨てた。

「我を蔑む愚者よ。子々孫々末代に到るまで己の子孫を根絶やしにしてくれる」

しばらくして佐吉の家系は途絶えた‥‥という話。

千本鳥居をくぐるだけでもご利益がある?

稲荷の色鮮やかな朱色の鳥居は古来、敬畏を表して「稲荷塗」とも呼ばれるように幾重にも連なった鳥居をくぐることによって清新の気を呼び起こし、気分がリフレッシュできるとされる。

稲荷の朱色は稲荷大神の神霊の働きである生命・大地・生産の力が宿り、”鳥居を通り”ながら(くぐりながら)願望を祈念することによって「願いが通る」にも通じるとも云われる。

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