伏見稲荷大社の「歴史や由来」と「作った理由と作ったのは誰?」【年表付き】

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伏見稲荷大社の「歴史や由来」と「作った理由と作ったのは誰?」【年表付き】

京都 伏見稲荷大社の「名前の由来」と「稲荷大社ができた理由(創建)」

想定外の主祭神に驚いた。伏見稲荷大社の「歴史や由来」と「作った理由と作ったのは誰?」【年表付き】この「稲荷神社」の名前の由来は、「山城国風土記(やましろこくふうどうき)
という書物に記載されており、以下のような由来があります。

渡来系の氏族である「秦伊呂具(はたいろぐ)」が、餅を狙って、弓矢を射った。

狙った餅が、白鳥に変化して山の峰に飛んで行った。

そうすると、たどり着いた場所に稲が生えた。

この「稲が生えた」ところから、「稲生(いのう・いなせ)」となり、「稲荷(いなり)」となり、この稲から社が出来たといいます。

つまり、稲荷の社の創建は、「秦伊呂具」ということになります。

京都 伏見稲荷大社を「作ったのは誰?」

無題伏見稲荷大社は、奈良時代の和銅4年(西暦711年)の2月の初牛の日(7日)に、「伊侶巨秦公(いろこのはたのきみ)」が、勅命を受けて、稲荷山にある三つの峯に稲荷大神をお祀りしたことが始まりとされています。

「山城国風土記(やましろこくふうどうき)」って何?

山城国風土記とは、山城(現在の京都府)の風土記ということになります。

風土記とは、奈良時代に用いられた一種の報告書のことで、主に天皇の献上するための地域の調査書に位置します。

詳しくは、奈良時代初期である713年(和銅6年)5月に、当時の天皇である「元明天皇」が、諸国の風土記の編成を命じられました。

これにより、判明した「平安京遷都」以前の山城国の「文化」や「風土」、「地理状況」などが記録されている貴重な地誌となります。


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伏見稲荷大社は、当初「五穀豊穣」のみの利益だった!!

伏見稲荷大社が「商売繁昌」や「家内安全」のご利益を得た本当の理由この伏見稲荷大社は、当初、「五穀豊穣の神様」として、崇められ、お祀されてきました。

しかし、現在は、「五穀豊穣の神様」以外にも、以下のようなご利益があると云われております。

  • 「商売繁昌(しょうばいはんじょう)」
  • 「家内安全(かないあんぜん)」

これらのご利益がある神様としても、全国で広く信仰されています。

伏見稲荷大社が「商売繁昌」や「家内安全」のご利益を得た本当の理由

伏見稲荷大社が、「商売繁昌」や「家内安全」のご利益を得た理由とは、827年に「弘法大師空海(こうほうたいし くうかい)」が、この伏見稲荷大社を訪れたことに始まります。

空海は、伏見稲荷大社で祀られている稲荷神を、「東寺(とうじ)」の鎮守神になってもらうようにお願いしたといわれております。

これがきっかけとなり、歴代の天皇までもが、伏見稲荷大社へ行きするようになり、民間にも稲荷信仰が普及していきました。
 
こうして、空海に対する信仰(商売繁昌、家内安全、諸願成就)と、お稲荷様の本来の五穀豊穣の信仰が融合していったと言われております。

東寺とは?

嵯峨天皇から空海に下賜(かし)されたお寺。要するに空海の個人所有となったお寺になります。

「東寺」は、京都市南区のある寺院になります。

空海が稲荷神に「東寺」の鎮守神を懇願した理由

823年(弘仁14年)に空海は、自らのお寺となった「東寺」の境内に自らの理想であった伽藍の一環として、「五重塔」の建設に踏み出します。

その際、伏見稲荷の稲荷山を含めた周辺の山々から、五重塔を建てるための木材を得るために、山の木々を切り出します。

しかし、これに怒りを示した稲荷山の神である「稲荷神」は空海に怒りの形相を向けます。

これを察知した空海はすぐさま山の切り出しを中断し、稲荷神を自らのお寺である「東寺」の守護神として崇め祀ることを誓い、稲荷神へ許しを乞います。

その後、空海は、自らがお寺を建てる時には、稲荷神の分霊をお祀りするようになったと云われております。

伏見稲荷大社の歴史(年表)

711年2月7日(初牛の日)

伊侶巨秦公(いろこのはたのきみ)が、勅命を受けて、稲荷山にある三つの峯に稲荷大神を祀ったことで、これが伏見稲荷大社の起源となった。

816年(弘仁7年)

社殿が建設される。

963年(応和3年)

都の巽を鎮譲する神社として定められる。

1039年(長歴3年)

※二十二社の上七社に列される。
※国家の重大事が起こった時、朝廷から特別に奉幣を受けた22の神社のことを指す。

1468年(応仁2年)

応仁の乱により、山上、山下の社殿の大半が滅亡

1499年(明応8年)

現在の本殿が復興する。

1868年(慶応4年)

※廃仏会釈(はいぶつきしゃく)が命じられ、社内の仏殿、仏像が廃される。

※廃仏会釈・・・仏教 寺院・仏像・経巻を破毀して、僧尼など出家者や寺院が受けていた特権を廃すること。

1871年(明治4年)

貨幣大社に列される。

1946年(昭和21年)

宗教法人伏見稲荷大社に改称。

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