京都・伏見稲荷大社「北廻廊・南廻廊」【重要文化財】
創建年
- 1694年(元禄7年/江戸時代中頃)
再建年(修営)
- 1729年(享保十四年)
- 1819年(文政二年)
- 1821年(文政五年)
- 1839年(天保九年)
建築様式(造り)
- 切妻造
- 一重
- 単廊造り
屋根の造り
- 檜皮葺
大きさ
- 桁行五間(回廊入口から見て奥行:約9m)
- 梁間一間(回廊入口の幅:約2m)
重要文化財登録指定年月日
- 2014年(平成26年)1月27日
北廻廊&南廻廊の歴史
回廊は通常であれば伽藍の入り口の門に連接され、神社であれば内側の本殿、寺院であれば近藤クンや仏塔を守護・・あぉぅ間違い!金堂(こんどう)!!を守護するための機能もはたします。
また回廊は門から延びて他の建物との間を連絡し、雨の日でも濡れずに行く着くことができますが、伏見稲荷大社の回廊は楼門の左右に比翼型に連接され、途中で切れています。
伏見稲荷大社の左右の回廊は「北廻廊・南廻廊」と呼称し、重要文化財の指定を受けている回廊となります。
回廊の元禄時代の修理記録
1694年(元禄7年)に伏見稲荷大社は、徳川幕府(将軍・徳川綱吉)から俸禄が増加されており、その際に境内の大規模な修繕や改築がされています。
その際、この南北の回廊も楼門に連接される形で造営されますが、ただ、途中で切れている事実からしても察れるように、現在この回廊は、回廊としての機能がなく、実のところ「絵馬掛け所」として新造されたものです。
楼門を挟むようにして、左右に比翼型で造営されており、左右の回廊の大きさは、ほぼ同寸となります。
なお、この回廊は造営された当初からこのような立派なものではなく、質素な「築地塀」だったようです。
そのほかの江戸時代の修理記録
- 1729年(享保十四年)
- 1819年(文政二年)
- 1821年(文政五年)
- 1839年(天保九年)
1708年(宝永五年)の大風の影響により回廊はじめ、絵馬掛所が倒壊し、この修理・再建を1729年(享保十四年)に実施したことが稲荷社日記(七十六冊)に記される。
1821年(文政五年)の修理は境内全域におよんだ大規模なものであったらしい。
1839年(天保九年)には回廊はじめ、拝殿の修理願が月番記録(五十七冊)に記される。
「北廻廊・南廻廊」の特徴
南北廻廊(南廻廊)の大きな特徴としては、目がくらむような朱色に緑の連子窓(れんじまど)のコントラストが見事に映えます。
所々に繊細な彫刻が施された金の装飾が見えますが、このような金の装飾は江戸時代の建築様式の特徴の1つと言えます。
回廊全体の造りとしては本を見開いて被せたような切妻屋根で、入り口は平側に設けられた平入りの単廊造り(たんろう/屋根を支える柱が2本)となっています。
伏見稲荷大社・南北回廊の場所(地図)
南北の回廊は入口の楼門の両脇に位置します。おそらくほとんどの方が見向きもせずに通り過ぎてしまいます。
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