京都・伏見稲荷大社「荷田社」

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京都・伏見稲荷大社「荷田社」

伏見稲荷大社・荷田社

創建年

  • 1176年(安元2年)
再建年

  • 1694年(元禄7年)
御祭神

  • 伊勢大神(天照大御神)
鳥居の造り

  • 奴禰鳥居(明神鳥居)
  • 石製
鳥居の造営年

  • 1917年(大正6年)
社格

  • 伏見稲荷大社・末社
例祭

  • 火焚祭(11月25日)

伏見稲荷大社「荷田社」の読み方

伏見稲荷大社の境内には、漢字の羅列で読みにくい名前の社殿や御祭神があります。

荷田社は「にだしゃ・にたしゃ」ではなく「かだしゃ・かだのしゃ」と読みます。

荷田社の御祭神「伊勢大神(天照大御神)」

伊勢大神とは476年640年頃に呼称されていた天照大御神の別名と云われています。

他にも、神宮(伊勢神宮)を他の神社からみた場合や、他の地域から伊勢神宮を見た場合の天照大御神の別称となります。

つまり、荷田社でお祀りされいる御神体は、神宮の内宮でお祀りされている天照大御神の分霊となります。

天照大御神は、神様の中の神様であり、位置づけとしては最高上級神という位置づけになります。

天照大御神は日本国民すべての祖先神として崇められており、その御神徳は世のすべてを照らし、すべてのご利益を兼ね備えておられます。

普段は天上界にあらせられる神様でありますが、地上においては自らの分神を神宮(伊勢神宮・内宮)に御鎮座されておられます。

ただ、このお社でなぜ、天照大御神がお祀りされているのかは謎です。

伏見稲荷大社・荷田社の歴史・由来

荷田社とは、荷田氏の一族をお祀りするお社です。

荷田氏は、古代の大豪族であり、伏見稲荷大社の社家(神官)の一族でもあります。

荷田氏の一族の有名な人物として江戸時代に「荷田 春満(かだ の あずままろ)」がいます。

荷田春満は、江戸時代の有名な歌人であり、日本国学の4大権威者の1人です。

日本国学の4大権威者

  • 賀茂真淵
  • 本居宣長
  • 平田篤胤
  • 荷田春満

なお、荷田春満の父親が「羽倉信詮(はくら のぶあき)」と言う人物であり、この羽倉氏こそが、伏見稲荷大社を創建した秦氏の一族であります。

伏見稲荷大社・荷田社の見どころ・「奴禰鳥居」

伏見稲荷大社の荷田社には「奴禰鳥居」と呼称される珍しい形状の鳥居があります。

伏見稲荷大社・荷田社・奴禰鳥居奴禰鳥居は「ぬねとりい」と読みます。

奴禰鳥居は、日本中でもたった2基しかないと言われている超レアな鳥居です。

ちなみに、もう1つは京都・新京極にある「錦天満宮・日の出稲荷」の境内にあります。

京都・新京極にある「錦天満宮・日の出稲荷」奴禰鳥居↑京都・新京極「錦天満宮(日の出稲荷)」の鳥居

荷田社の奴禰鳥居は石造りの鳥居となっており、日本に1つしか存在しない鳥居となります。

伏見稲荷大社へ参拝に訪れたら、拝観必見の場所とも言えます。


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「奴禰鳥居」の特徴

奴禰鳥居の形状は「明神鳥居」がベースになっています。

明神鳥居とは、普段、神社へ行かれた時によく見る鳥居で、鳥居の棟木(一番上の部分)の両端が少し反り上がっています。

明神鳥居と奴禰鳥居の大きな違いは、鳥居の一番上の胸毛..あぉっ、棟木!(むなぎ/笠木)とその下の「貫」のあいだに「破風扠首束(はふさすづか)」と呼ばれる「額束」があることです。

破風扠首束の形状は、上の画像(写真)を見てお分かりのように、本を見開いた屋根のような形状になった「額束」が特徴的です。

もう少しわかりやすく言いますと「漢数字のの形状」ですね。ウフ

「破風扠首束」意味とは「破風」「扠首束」に分けて考えることができます。

「破風」は、「はふ..ハフん」と読み、社寺建築においては屋根の下に付けられている穴があいた当木のことです。

破風「扠首束」は「さすづか」と読み、通常は建築用語として、大屋根の棟木!..を支える為に付けられる木組みのことです。

荷田社・扠首束

「扠首束」は「扠首竿」を組んだ時の形が手を合わせた形に似ていることから、建築用語で別名「合掌(がっしょう)」とも呼称されます。

荷田社の「石の扉」と「梅花の家紋」

伏見稲荷大社の荷田社の奴禰鳥居の奥には、重厚で重そうな造りの「石の扉」があります。

この石の扉には「梅花の家紋」が彫られています。

伏見稲荷大社 荷田社 石の扉

実は、この「梅花の家紋」こそが荷田氏の家紋であるとされています。

荷田氏の祖先は「荷田龍頭太(りゅうとうた)」と言う人物で、この人物は稲荷山の麓に住み、昼夜働き通す「働き者」であったそうです。

荷田龍頭太には、特徴があり、その顔はじつに龍のような激しい形相の顔をしていたと云われております。

そして、荷田龍頭太がこの世を去る時、真の龍のように雷雲を呼び寄せ、雲に向かって昇天したそうです。

昇天する際、荷田龍頭太が大切に育てていた梅花が、裏返しになって花びらを散らしたことから以後、荷田家では梅花の存在を重く受け止めることになり、家紋にまで用いられるようになったとのことです。

なお、一説ではこの荷田龍頭太こそが、弘法大師・空海が稲荷山へ訪れた際に出会った山の神(稲荷神)であるとも云われています。

※参考文献:「稲荷大明神縁起」

伏見稲荷大社・荷田社の場所

伏見稲荷大社・荷田社は「四ツ辻」から、少し右の参道へ進んだ「間ノ峰」にあります。

  • 稲荷山の全体地図はコチラから。
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