京都・伏見稲荷大社「大八嶋社」
造営年
- 不明
主祭神
- 大八嶋大神
例祭
- 12月最初の申の日、10時
社格
- 伏見稲荷大社・摂社
伏見稲荷大社・大八嶋社の読み方
大八嶋社は、「おおやしましゃ」と読みます。
大八嶋(大八島)とは?
『古事記』や『日本書紀』によると、「神産み」で多くの神々を産み出したイザナギノミコト・イザナミノミコトは、その前に、いわゆる「国産み」をしました。
この時誕生したのが以下の8つの島で、これが「大八島(嶋)」、つまり、日本列島の起源となる島々です。
『古事記』と『日本書紀』では登場する島や生まれる順番が異なりますが、『古事記』によると、大八島は以下の順番で生まれました。
- 淡道之穂之狭別島(あはぢのほのさわけのしま): 淡路島
- 伊予之二名島(いよのふたなのしま): 四国
※胴体が1つで、顔が4つあり、それぞれの顔は「伊予国」や「讃岐国」となる神々。 - 隠伎之三子島(おきのみつごのしま): 隠岐島
- 筑紫島(つくしのしま): 九州
※胴体が1つで、顔が4つあり、それぞれの顔は「筑紫国」や「豊国」となる神々。 - 伊伎島(いきのしま): 壱岐島
- 津島(つしま): 対馬
- 佐度島(さどのしま): 佐渡島
- 大倭豊秋津島(おほやまととよあきつしま): 本州
これら8つの島が生まれたため、日本は「大八島国(おおやしまのくに・おおやしまぐに)」と呼ばれました。
『古事記』によると、イザナギ・イザナミは、この後、小豆島や姫島など6島も創生しました。
つまり・・御祭神・大八嶋大神とは?
「大八嶋大神」は、どこにでも祀られている神ではありません。
もうお分かりと思いますが、「大八嶋」とは日本列島を意味します。
つまり、大八嶋社の御祭神は日本列島なのです!
ビッグスケール・・!
大八嶋大神は、神格化された日本列島です。
神社に神として祀る以上、神の名が必要ということで、「大神」が付いているのでしょう。
大八嶋社の歴史・由来
伏見稲荷大社によると、大八嶋社の由来・由緒については、2つの説があるとされています。
以下の2つの説はどちらも伏見稲荷大社そのものの創始や歴史と関係があるもので、そのことからも、大八嶋社は末社ではなく「摂社」とされているのでしょう。
摂社・末社とは:
摂社は、主祭神の后や御子などや、神社創建前にその地に鎮座していた地主神など、基本的には、主祭神とかかわりの深い神を祀る神社です。
一方、末社の祭神は、主祭神とは関係がなく、他所から勧請した神などの場合が多くなっています。
①荒神峰からの遷座
伏見稲荷大社の創始と深い関わりがある旧社家秦氏(はたうじ)の伝によると、昔、稲荷山の荒神峰(こうじんみね)に祀られていた地主神を現在の地に移したのが、大八嶋社だと言います。
伏見稲荷大社の本殿に合祀される田中大神(たなかのおおかみ)や四大神(しのおおかみ)は由緒がはっきりせず、一説には、地主神のようなものだとされています。
荒神峰に祀られていて現在の大八島社に移ったとされる「地主神」は、このうちの四大神ではないかとも言われています。
伏見稲荷大社の7つの神蹟(しんせき)のうちの1つ、「田中社神蹟」があるのが荒神峰で、現在は知る人ぞ知るビュースポットとなっています。
一方の田中大神は、この田中社と関係があるのかもしれません。
②龍頭太と関係あり
秦氏出身の旧社家荷田氏(かだうじ)の伝では、大八嶋社は「龍頭太(りゅうとうた・竜頭太)」に関わりのある所とされています。
龍頭太は、稲荷山に住んでいた竜のような顔の人物で、頭の上に光りを放つものがあったため、夜でも山に入って薪を集めることができたと言います。
昼は田を耕し、稲を背負っていたため姓を「荷田」といい、自ら山神を名乗りました。
これが荷田氏の祖神とされており、一説には大八嶋社とも関係があるとされているのです。
なお、伏見稲荷大社には、荷田社と名の付く社が2か所あります。
そのうち、稲荷山の「間ノ峰」にある荷田社には、伊勢大神(天照大御神)が祀られています。
荷田社の歴史などについては、当サイト京都・伏見稲荷大社「荷田社」でご紹介しています。
社家(しゃけ)とは:
代々、特定の神社の神主や禰宜(ねぎ)などの神職を世襲してきた家柄・士族。
伏見稲荷大社では秦氏の子孫が代々務め、荷田氏、西大路氏、大西氏、松本氏などが社家を継いでいます。
大八嶋社の見どころ
ご紹介してきた通り、大八嶋社には社殿がありません。
朱塗りの玉垣で囲われた神域があり、その手前に鳥居と小さな祭壇、賽銭箱、ろうそくを備える場所があるだけです。
一方、この玉垣の脇には「大八嶋大神」の大きな石碑があり、こちらには近づくことができます。
石碑の正面には2体の狐像があります。
この石碑は「明治廾七年(二十七年)五月建立」という文字があるので、明治27年、つまり、1894年の建立とわかります。
社殿がないのは珍しい?
大八嶋社は、古来社殿がなく、「磐境(いわさか)」と呼ばれる神域を設けて神が鎮まる場所とし、朱塗りの玉垣で囲んでいます。
この玉垣の内側は禁足地、つまり立ち入り禁止の、神聖な場所です。
そもそも元をたどれば、古代日本の信仰と言えば自然崇拝(自然神信仰)で、山や木、岩が、神が宿る「依代(よりしろ)」とされていました。
そこに祭事の時に仮設の祭壇が設けられるようになり、本殿や拝殿が造立されるようになったのはその後です。
例えば、三輪山をご神体とする奈良県桜井市の「大神神社」には、拝殿はあっても本殿はありません。
大八嶋社のように、拝殿も本殿もなく、建物と言えば鳥居のみというのは少々珍しいものの、社殿を持たず、依代となる場所や物を祀った場所を神域とするという神社のあり方は、古代日本人の信仰の形を現代に伝えるものなのです。
大八嶋社の場所
本殿と社務所の間の階段を上り、玉山稲荷社の手前で右へ行くと奥宮や千本鳥居があり、左へ行くと30mくらい先の右側に大八嶋社があります。
大八嶋社の周辺の見どころ
大八嶋社のすぐ裏側には、八島ヶ池という池が広がっています。
以下では、大八嶋社と八島ヶ池の周辺の見どころをご紹介します!
①八嶋ヶ池(お産場池)
大八嶋社の裏側には、八島ヶ池(やしまがいけ)という池があります。
近くに「お産場稲荷」があることから、通称「お産場池(おさんばいけ)」とも呼ばれています。
お産場稲荷の由来や参拝方法、ご利益などについては、当サイト京都・伏見稲荷大社「お産場稲荷(お産場茶屋)」でご紹介しています。
②稲荷茶寮・啼鳥菴
八島ヶ池のほとりには、2017年末から2018年1月にかけて新しくオープンした休憩所「啼鳥菴(ていちょうあん)」があります。
奥宮の方から大八嶋社の手前で納経所の方(右側)の道に入ると、真新しい建物が見えます。
この建物の入口を入り、左側が喫茶室(稲荷茶寮)で、右側が無料休憩所となっています。

どちらも八島ヶ池側に客席があり、庭園、池、稲荷山の景色を眺めながら、歩き疲れた体を休めることができます。
無料で休憩するのも良いですが、稲荷茶寮で季節のオリジナルスイーツやランチセットをいただくのもおすすめですよ。
稲荷茶寮の営業時間・住所・お問い合わせ先など
- 営業時間:10時~16時(L.O 15時30分)
- 定休日:水曜日(祝日は営業)
- 住所:京都市伏見区深草藪之内町68
- 電話番号:075-286-3631
- ホームページ:http://www.inarisaryo.kyoto/

啼鳥菴の名前の由来や建物の特徴、稲荷茶寮のおすすめメニューや営業情報などは、当サイト伏見稲荷大社の休憩所「啼鳥菴」とフォトジュニックな和カフェ「稲荷茶寮」人気メニューをご紹介!でご紹介しています。
③神田
八島ヶ池の奥には神田(しんでん)があり、神様にお供えするお米が育てられています。
伏見稲荷大社では、初夏から秋にかけて、神田と関係する行事(神事)が行われます。
神田での行事は見学できますので、機会があればぜひ、行ってみてください!
伏見稲荷大社の神田・稲に関する行事(神事)
【4月】水口播種祭(みなくちはしゅさい)
- 4月12日(11時~)
稲種を苗代田(なわしろだ)におろすにあたって、稲荷大神に苗の充実した生育を祈願する祭事。
本殿での神事の後、神田で籾種(もみだね)が蒔かれます。
【6月】田植祭(たうえさい)
- 6月10日(10時~)
御神前に供えるためのご料米の稲苗を神田に植える祭事。
本殿での神事の後、神田に移り、古式ゆかしい舞や歌が奏上される中、早乙女らが田植えを行います。
【10月】抜穂祭(ぬきほさい)
- 10月25日(11時~)
稲荷大神のお力によりたわわに実った稲を刈り取る祭事。
【11月】火焚祭(ひたきさい)
- 11月8日(13時~)
収穫の後、稲荷大神のご神徳に感謝する祭事で、伏見稲荷大社を代表する伝統行事の1つです。
本殿の祭典に引き続いて、神苑斎場において、崇敬者から奉納された数十万本の火焚串や刈り取られた稲わらを焚きあげ、罪障消滅、万福招来を祈願します。
【11月】新嘗祭(にいなめさい)
- 11月23日(10時~)
抜穂祭で刈り取られた新穀を神前に供え、今年の豊作を感謝し、国の平安を記念する祭事。
これで伏見稲荷大社の神田の1年は終わりを迎えます。
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