伏見稲荷大社には古くから七不思議と呼ばれる摩訶不思議な言い伝えがあります。
参拝される際には、以下でご紹介するような「七不思議」を楽しまれるのは如何でしょうか。
伏見稲荷の七不思議【その1】<お山の土>
伏見稲荷大社の境内奥には「稲荷山」と呼ばれる標高230メートルほどの山があります。
この稲荷山の土を田畑に混ぜると稲荷大神が持つとされる「五穀豊穣」のご利益により作物が良く育つと言う謂れ(いわれ)があります。
伏見稲荷の七不思議【その2】<無数の塚>
お山を一周する間に無数のお塚(石碑)があります。
特に七神蹟地周辺に密集しており、全部で数万個もあると言われています。
これらの塚のほとんどは稲荷信仰の崇敬者である「稲荷講(いなりこう)」の方々が奉納されたと言われています。
しかし何故、塚を奉納するのか?はたまた、あまりにも数が多いため七不思議とされています。
伏見稲荷の七不思議【その3】<おもかる石>
千本鳥居を抜けた場所にある奥社奉排所の右奥に石灯籠が2つ並んで立てられています。
この石燈籠の先っちょ(空輪)をよく見ると、灯籠の色とは異なる黒い色の物体が乗っています。
これは灯籠の先端部分に据える「宝珠(ほうじゅ)」になりますが、伏見稲荷大社の宝珠はなっ、なんとぉぅ!おゥイぇ~..手で持ち上げることができるのです。
実はこの石は「おもかる石」と呼ばれる有名な石で、持ち上げることで以下のような占いができます
- 持ちあげた時の感覚が、思っていたよりも軽かったら願い事が近々、叶う。
- 逆に重ければ願いが叶う日が遠い。
- あまりにも普段から業の悪い人間は持ち上げることが出来ない。
などと言われています。
尚、占う際は、いずれかの石灯籠の前に立ち、願い事をしてから石灯篭の宝珠(頭)を持ち上げるようにします。
「おもかる石」に関しての詳細は当サイトの以下の別ページにてご紹介しています。
伏見稲荷の七不思議【その4】<験の杉(しるしのすぎ)>
「杉」は稲荷山のご神木であり、稲荷山には「傘杉大明神」「一本杉大明神」「三本杉大明神」「大杉大明神」など、杉を祀っている所がたくさんあります。
昔はこの杉を手折って持ち帰り、自宅で植えて次のような吉凶を占ったそうです。
植えた杉が根付けば「吉」、根が付かなければ「凶」などと云われています。
現在では杉の木を守るために、杉の木を授与する日を毎年2月の初午の日の「初午大祭(はつうまたいさい)」に定めています。
初午大祭の日には午前8時から、参拝者に杉の枝「験(しるし)の杉」が授与されています。
初午大祭の日程については以下の別ページにてご紹介しています。
伏見稲荷の七不思議【その5】<劔石(雷石)>
「劔石(つるぎいし)」とは、境内奥の稲荷山にある「御剣(みつるぎ)社」のご神体になります。祠の裏手にある、しめ縄で巻かれた巨石が目印です。
石の形状が先が尖っていることから、古来、「劔石(つるぎいし)」と呼ばれています。
また、この劔石は、その昔、神々が「荒れ狂う雷」を封じ込めたという伝説があり、別名で「雷石(かみなりいし)」とも呼ばれています。
伏見稲荷大社の劔石(雷石)に関しては当サイトの以下の別ページにてご紹介しています。
伏見稲荷の七不思議【その6】<宗近の井戸>
御剣(みつるぎ)社の祠の左側にある井戸「焼刃の水」。
昔、実在した鍛冶師「三条小鍛冶宗近」が、名刀である「小狐丸」を鍛えるのにこの井戸の水を使った事から、別名「宗近の井戸」と言われています。
また、その刀を鍛えるのに稲荷大神のお使いである子狐の力添えがあったとも伝えられています。
伏見稲荷の七不思議【その6】<奴禰鳥居(ぬねとりい)>
間ノ峰(あいだのみね)にある「荷田社(かだしゃ)」にある石鳥居です。
中央の額束が破風扠首束(はふさすづか)(合掌している形)になっており大変珍しい形です。
同じ形状の鳥居は他に京都・新京極にある錦天満宮内の日出稲荷にしか存在しないそうです。
このような鳥居が何故、この荷田社のみに立てられているかは謎とされ、七不思議と云われています。
伏見稲荷の七不思議【その7】<御産婆稲荷のロウソク>
「御産婆稲荷社」とは、境内から少し外れて「三つ辻」を左回りに降りていった麓に位置する安産のご利益があるとされる神社です。
御産婆稲荷社が稲荷が「御産婆(おさんば)」と呼ばれるのは次のような理由があるからです。
この御産婆稲荷社にはかつて洞穴があり、そこには狐の夫婦が棲みついていたそうです。
後にこの狐の夫婦はたくさんの子宝に恵まれることになり、夫婦で懸命に子育ている姿を人々は目の当たりにすることになります。
いつしか人々は、狐は子宝のご利益と家内安全、そして安産のご利益もあると信じ始めます。
現在でもこの安産信仰が受け継がれており、なんでも「神前に献灯された燃え残りの蝋燭を自宅に持ち帰って灯し、燃え尽きる時間が短ければ、お産も短時間で楽に済む」という言い伝えが残されています。
尚、一説によると、この御産婆稲荷社は神社の安産信仰の起源であるとも云われています。
以上、ロウソクを持ち帰る信仰が七不思議とされています。
伏見稲荷の七不思議【その7】<社殿のないの大八嶋社>
本殿から西の玉山稲荷からさらに北へ向かった八嶋ケ池畔には「大八嶋大神」をお祀りする「大八嶋社」と呼ばれる神社があります。
この神社は伏見稲荷大社の摂社の社格を持つ由緒ある神社でもあります。
しかし、なんと!伏見稲荷大社の摂社格を持ちながら社殿がなく、約1.5メートルほどの「大八嶋大神」と刻まれた石碑が、お墓のように立っているのみです。
伏見稲荷の摂社ともなれば、朱漆の玉垣や社殿をイメージしてしまいますが、神前(石碑の前)に狐像が2体祀られているのみで他にはこれと言って何もありません。
実はこの「大八嶋社」は、古くから社殿がない様式で祭祀されていたようで、つまりはこの様式を現代にまで踏襲していることになります。
以上、社殿が存在しない摂社であることから、これも伏見稲荷大社の七不思議と云われています。
尚、一説では「大八嶋大神」の「大八嶋」とは日本列島の別名、つまり日本列島そのものをお祀りしていると言う意味合いになるそうです。
このことから社殿は不要とのことで石碑のみが立てられているとも云われています。
【アンコール】【その8】<熊鷹社の「こだま池」>
千本鳥居からさらに稲荷山を左奥へ歩いた先に「熊鷹社」と呼ばれる神社があります。
この熊鷹社の脇には大きな「こだま池」と呼ばれる池があります。
実は、この「こだま池」で手を打って「こだまが返ってきた方向に尋ね人が見つかる」という、一種の占いのような伝承が残されています。
現在でも、参拝者が手を打って耳を澄ますことから七不思議とされています。
【アンコール】【その9】<創建の由緒が不明>
伏見稲荷大社の社伝もしくは京都に伝承される古文書「山城国風土記」によれば、伏見稲荷大社の創建に関して以下のような伝承が残されています。
渡来系の氏族・秦氏の「秦伊侶具(はたのいろぐ)」が、ある時、矢を射るための的として「餅」を用いて餅を投げて射止めたが、なんと!餅が白鳥に変化して大空へ飛び立ち、現在の稲荷山に降り立って、さらに稲に変化します。
この縁起から、伊侶具が祠(ほこら)を建てたのが現在の稲荷大社の起源とされています。
しかし伏見稲荷大社からほど近い、もしくは京都駅付近に位置する東寺(とうじ)の寺伝よれば、五重塔造営の際に木材が必要になり、当時の住職であった弘法大師・空海が稲荷山へ入り、木を伐採することになります。
しかしこの時、稲荷山には「稲荷大神」が鎮座していたために怒りをかってしまい、その怒りを鎮めるために祠を建てたのが現在の稲荷大社の起源であるとも云われています。
【補足】伏見稲荷大社に伝わる「都市伝説と謎」
伏見稲荷大社はパワースポットとしても有名な場所であるため、上述したような「七不思議」以外に以下のような「都市伝説」や「謎」も伝わっています。
伏見稲荷の都市伝説・謎【その1】
相槌稲荷(合槌稲荷/あいづちいなり)と称される稲荷社が京都には6ヶ所もある
伏見稲荷の都市伝説・謎【その2】
伏見稲荷大社の稲荷山の山頂付近にはかつて深い井戸があったようですが、この井戸が見当たらない
伏見稲荷の都市伝説・謎【その3】
境内にある鳥居は修繕に出されたりするなどで若干の増減が毎日あり、全てをキッチリと数え切ることはできない
伏見稲荷の都市伝説・謎【その4】
稲荷寿司を持って稲荷山に行くと、途中で稲荷寿司が消えてしまう
関連記事一覧
関連記事:
スポンサードリンク -Sponsored Link-
当サイトの内容には一部、専門性のある掲載がありますが、これらは信頼できる情報源を複数参照して掲載しているつもりです。 また、閲覧者様に予告なく内容を変更することがありますのでご了承下さい。