伏見稲荷大社の御神紋(社紋)「招き稲の紋?」とは?
こちらのページでは、伏見稲荷大社の御神紋(社紋)である「抱き稲の紋」の由来や意味、伏見稲荷大社で用いられているその他の紋などについて、ご紹介します。
はじめに・・神紋(社紋)とは
各家庭、あるいは一族が持つ家紋のように、神社が用いている紋章を「神紋(しんもん)」または「社紋(しゃもん)」と言います。
家紋や神紋の始まりは、平安時代に公家が用いた紋章だと言われています。
当初は各自が好みの文様を、着物や調度品にあしらって装飾代わりにしていましたが、その紋章は次第に一族で継承するものとなっていき、簡略化され、現在のような家紋・神紋となりました。
伏見稲荷大社の御神紋「抱き稲の紋」とは
伏見稲荷大社の御神紋は、「抱き稲の紋」です。タイトルでは「招き稲」としていましたが、正式には”抱き稲の紋”です。
画像引用元:伏見稲荷大社
抱き稲(だきいね)など、稲をあしらった紋を、一般的に稲紋(いねもん)と言います。
稲とはもちろん、皆さんご存知の、米を実らせるあのイネ科の植物で、稲紋は、その稲の穂や茎、葉などを図案化したものです。
抱き稲の紋は、2束の稲穂が向かい合うように輪を作っている様子が描かれています。
抱き稲の紋(稲紋)の由来
神社の神紋のモチーフは、御神木などの植物や祭器具、縁起や伝承にちなんだもの、天文気象に関するものなど、様々です。
徳川家の家紋である葵紋を神紋としている日光東照宮のように、神社ゆかりの公家や武家の家紋を神紋として用いている神社も多くあります。
それでは「稲」は、神社とどのような関係があるのでしょうか?
稲紋に描かれる稲は、秋の収穫に感謝するために神に供える「稲の束」がイメージされているものと考えられ、大概は1本ではなく、束となっています。
日本人の主食は、古くから米でした。
稲(米)は神の恵みであり、同時に神に捧げるものでもあって、日本人にとって、最も身近で、最も重要な植物でした。
そんな稲の精霊が神格化されたのが、伏見稲荷大社の御祭神である「お稲荷さま」こと、稲荷大神(宇迦之御魂大神、うかのみたまおおかみ)です。
稲紋の種類
稲をモチーフとした「稲紋」には、束ねた稲を直立させた「立稲穂」や、2束の稲を交差させた「違い稲」、曲げたり輪にしたりした「束稲」「稲の丸(稲丸)」「抱き稲」などがあります。
そして、それぞれ、右巻きか左巻きか、円形の枠「丸」があるかどうかなど、異なるバリエーションがあり、全部で数十種類あるとされています。
変わったところでは、ひし形など円形以外の形になっていたり、稲が1本だったり、穂が実る前の苗がデザインされていたりするものもあります。
また、稲紋と別の紋を組み合わせた紋もあります。
抱き稲の紋(稲紋)の意味
伏見稲荷大社の御祭神である稲荷大神は、もともとは五穀豊穣の神さまであり、稲作と深い関係があります。
「稲荷(いなり)」の名称は、「稲生る」から転じたものとも言われています。
上述の通り、稲は神からの恵みであり、主要な農作物であったことから、「五穀豊穣」の象徴であり、また、長い間「お金」のように用いられていたことから、「諸産業興隆」「商売繁盛」などの意味合いもあります。
稲荷大神が祀られる神社は全国に3万以上と言われ、その御神徳によってたわわに実る稲が、多くの稲荷神社の御神紋に描かれてきました。
伏見稲荷大社で見られる御神紋「抱き稲の紋」
幟(のぼり)
稲荷祭の幟に、「抱き稲の紋」が付いています!
千本鳥居の釣り燈籠
千本鳥居に目が奪われがちですが、ぜひ、この小さな釣り燈籠にもご注目ください。
金色の美しい「抱き稲の紋」があしらわれています。
間ノ峰・神蹟「荷田社」
荷田社など、神蹟めぐりの中で参拝するお社では、よく「抱き稲の紋」に出会えます。
一ノ峰・神蹟「上之社/上社」
実は、伏見稲荷大社の楼門や本殿周辺で見られる「抱き稲の紋」はあまり多くなく、稲荷山登山(登拝)をして7つの神蹟を巡ると、よりたくさん見られます。
【おまけ】稲穂をくわえたキツネ
キツネは稲荷大神の使いであるため、伏見稲荷大社の境内には、それはそれは多くの狐像がありますが、中には稲穂をくわえているキツネもいます。
【おまけ】稲穂のお守り
伏見稲荷大社では、稲をモチーフにした「達成の稲穂守」も授与されています。
また、「肌身守り」や「厄除け守り」には、稲穂が描かれています。
他に、多くのお守りには「抱き稲の紋」があしらわれています。
【補足①】稲紋の歴史(由来)についてもっと詳しく!
稲紋は、全国の稲荷神社の他、紀元前からの歴史を持つとされる熊野大社(熊野本宮大社)に奉仕する人々(一族)の間でも神紋・家紋として広く用いられてきました。
古くから熊野神社に奉仕した神官が、豊作に感謝するため稲穂を積み上げて神に捧げたことから「穂を積む」で「穂積」姓を賜り、その「穂積氏」から分かれた鈴木氏が、稲紋を家紋にしたのが、稲紋の起源とされています。
ちなみに、稲穂を積んだものを、熊野地方の方言で「すすき」と呼んだことから、「すすき→すずき」ということで、鈴木氏(鈴木姓)が誕生したのだそうです。
鈴木氏は熊野大社と同じ烏紋(からすもん)を家紋としましたが、中には姓の由来である稲紋を家紋とする一族もありました。
そして、熊野信仰が全国に広がる過程で、熊野神社と共に、鈴木姓と烏紋、そして稲紋が全国に広がっていき、やがて、源氏や平氏の流れを引く有力な武家でも稲紋が多く用いられました。
鈴木氏の中には烏と稲を組み合わせた「稲に烏紋」を用いている家もあります。
【補足②】抱き稲の紋を神紋とする神社
例えば、伏見稲荷大社と共に「日本三大稲荷」の1つに数えられる茨城県の笠間稲荷神社(かさまいなりじんじゃ)も、抱き稲の紋が御神紋になっています。
伏見稲荷大社の抱き稲の紋と比較すると、中央で稲の葉がクロスしている部分や、門の上の方が左右から少し絞られた形になっているのが特徴的です。
また、同じく日本三大稲荷の1つとされることも多い岡山県の最上稲荷(さいじょういなり、最上稲荷山妙教寺)では、抱き稲に焔宝珠が入ったデザインの御神紋となっています。
日本三大稲荷とは?
日本三大稲荷にどの稲荷神社(一部寺院)が含まれるかは諸説あります。
一般的には、全国の稲荷神社の総本社である伏見稲荷大社に、茨城県の笠間稲荷神社、愛知県の豊川稲荷(豊川閣妙厳寺)、佐賀県の祐徳稲荷神社のうちの2社を加えることが多いようです。
他に、宮城県の竹駒神社や、岡山県の最上稲荷(最上稲荷山妙教寺)などが含まれる場合もあり、一定しません。
伏見稲荷大社のその他の紋
伏見稲荷大社の御神紋「招き稲の紋」についてご紹介してきましたが、最後に、伏見稲荷大社で用いられているその他の紋についても触れておきます。
伏見稲荷大社の古典的な御神紋「鍵紋」
画像引用元:伏見稲荷大社
伏見稲荷大社では、古典的には漢字の「巳」の形に似たこちらの紋が用いられていました。
これは、先端が渦巻き状に曲げられた昔の鍵を図案化した「鍵紋」の一種です。
財産を管理するのに欠かせなかった「鍵」をあしらった紋は、富豪の象徴として用いられてきました。
この場合の財産は、お金はもちろんですが、古くはやはり稲や米ですから、御神紋の鍵は、蔵の鍵ということになります。
伏見稲荷大社には鍵をくわえた狐像もいます。
また、鍵をモチーフとした「達成のかぎ守」も授与されています。
鍵紋というと、こちらのお守りの鍵のように、鍵そのものが描かれていることが多いのですが、伏見稲荷大社の古典的な御神紋である上掲の紋は、かなり簡略化されています。
伏見稲荷大社の「菊紋」
伏見稲荷大社へ行くと、抱き稲の紋よりは、菊の紋の方が目につきます。
伏見稲荷大社はかつて国(朝廷)から幣帛(へいはく:お供え物)あるいは幣帛料を受け取っていた「旧・官幣大社」でした。
現在は皇室の紋として「菊御紋」とも呼ばれる菊紋(菊花紋)が社殿などに用いられているのは、朝廷と深い繋がりがあったことの名残なのです。