京都・伏見稲荷大社「熊鷹社」
創建年
- 1800年代(明治時代初期)※現在の社殿の造営
御祭神
- 熊鷹大神
社格
- 伏見稲荷大社・摂社
例祭
- 火焚祭(11月17日)
「熊鷹社」の読み方
熊鷹社は「くまたかしゃ」と読みます。
「熊(くま)」と「能(のう)」の漢字が似ていることから「能鷹社」と間違える方も少なからずいるとか。 そら、君だけや
熊鷹社の御祭神「熊鷹大神」
熊鷹社の御祭神・熊鷹大神は、熊鷹(クマタカ)と言う鳥類の「鷹」が神様とされます。
数ある熊鷹の中でも「羽白熊鷹(はじろ くまたか)」と言う種類の「鷹の神様」をお祀りしているようですが、理由は判然としない。
ただ、その昔「貴族(藤原氏・皇族など)」が守護神の1柱として崇拝していた「熊鷹大神(羽白熊鷹)」を、民族(国民)の統制のために、広く信仰されていた稲荷信仰に習合させて、崇拝させたという説があります。
その結果、貴族の守護神である熊鷹大神が、稲荷神社でお祀りされるようになったという説もあります。
つまり、熊鷹社は伏見稲荷大社だけに存在するのではないことになります。
ちなみに全国の「稲荷神社」には「熊鷹稲荷神社」が岐阜・大分・下関などに数社現存するのみだが、往時はもう少し数が多かったものと推考する。
熊鷹社の歴史や特徴
現在、散見される稲荷山のお塚のほとんどは明治初頭から築かれたものだと云われるが、熊鷹社は古くから当地にて祭祀されていたらしい。
創祀された頃の熊鷹社には現在のような社殿はなく、「小祠(しょうし/スモールなほこら)」だったと伝わる。
2018年は谺ヶ池に大木が倒伏した
伏見稲荷大社では2018年(平成30年)台風12号、20号、21号の影響により、鳥居が多数、倒壊した。
その被害は熊鷹社へもおよび、境内の御神木が御垣をなぎ倒して谺が池へ倒伏した。
2018年は台風後の悲惨な惨状が目の当たりにできた。
伏見稲荷大社ではこれらの台風に罹災した熊鷹社などの社殿群、鳥居までもを含めた旧観の復旧を急務とし、修営・再建のための浄財勧募を実施。(本勧募はすでに終了)
特に稲荷山には信奉者や講員たちが築いた無数の塚や社殿などがあり、中には長年、修繕なく屋根が傾いた社殿もある。
熊鷹社の内部の様子
御神体は神鏡
熊鷹社の内部には他の磐座のお塚とは異なり、神鏡が社殿奥で御神体として奉祀される。
ピラミッド状のロウソク
特に目に付くのが、”検討”する余地が無いほどに”献灯”された、稲荷山最大とも言われる、おびただしい数のロウソクがピラミッド状に連なる。
古来、変わらずに篤き崇敬が寄せられている様子がうかがえ〜る。
熊鷹社の独特の参拝方法
古来、難切り不動尊脇に広がる谺が池の池畔にて柏手を打つと幸運を示す方角よりコダマ(谺)が返ってくると云われる。
⬆️脱毛後の自らの足のセクシーさに発情した愚かさと性欲具合ほど噂の‥‥「谺ヶ池(こだまがいけ)」
古くから下記のような独特の参拝方法が伝えられてい‥‥‥申す。しゃ
- まず、熊鷹社へ参拝し、願い事を告げてから新池(コダマ池)へ向かぅ。
- 熊鷹社を向かい見て右手方向へ新池に沿って進んだ先に「難切り不動尊」がある。
- 難切り不動尊の横で池の中央と向き合うように立つ。
- ここで柏手(かしわで/手をたたく)を2回打つ。
- すると拍手のコダマがドコからともなく返ってくる。
- 当該コダマが返ってきた方向やコダマの反響音によって「願いが叶う時期」が分かるらしい。
- 柏手が近くから返って来たよぅに思えば『願いが叶ぅ日も近ぃ』
- 柏手がやや遠くから返って来たように感じたならば『願ぃ事の成就は遅くなる』
以上の占いは古来、難切り不動脇の池畔で行うことになっており、池畔であればドコでも良いわけでは無ぅぁいとするならば、この占いの真意とは難切り不動の霊験(利益)が担保されたものとな〜る。
なお、探し物がある時や、行方知れずのヤツの居場所が知りたいときなども、熊鷹社で祈念して同様に池畔で柏手を打つことでコダマが聞こえてきた方角より、手がかりが得られるらしい。
ただこの場合、東西南北の概念が生じるので池の外からもコダマが聞こえてくるということなのか…。はてさて
竹屋でロウソクを買って献灯すれば効果倍増する?!
熊鷹社前の甘味処・竹屋の店主曰く、竹屋のロウソクを熊鷹社へ献灯したのち、コダマ池で手を打つと効果大らしい。
難切り不動尊の場所はどこ??
難切り不動尊の場所については下記ページを要チェックや💘
伏見稲荷大社・熊鷹社のご利益
- 勝負時の必勝祈願
- 商売繁盛
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伏見稲荷大社・熊鷹社の場所(地図)
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