伊藤若冲の最後の傑作が眠る!!京都・伏見「石峰寺」の見どころ「歴史・五百羅漢・御朱印の種類・桜と紅葉」など

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伊藤若冲の最後の傑作が眠る!!京都・伏見「石峰寺」の見どころ「歴史・五百羅漢・御朱印の種類・桜と紅葉」など

伏見「石峰寺01

創建年

  • 不明
  • 推定:1704年~1711年(寶永年間~正徳年間/江戸時代)
本尊

  • 釈迦如来
山号

  • 百丈山
宗派

  • 黄檗宗
開創者

  • 千呆性侒

京都・石峰寺の読み方

寺院や神社には、読みにく名前がありますが石峰寺は「せきほうじ」と読みます。

石峰寺の宗派である「黄檗宗」は「おうばくしゅう」と読み、山号の「百丈山」は「ひゃくじょうざん」と読みます。

京都・石峰寺の歴史・由来

京都・伏見「石峰寺」の創建年は、不明とされており、1704年~1711年(寶永年間~正徳年間)に、千呆性侒(せんがいしょうあん)によって創建された寺院であり、禅を極めるための道場です。

石峰寺は、三大禅宗と呼称される「禅宗・黄檗宗(おうばくしゅう)」の寺院でもあります。

なお、黄檗宗の総本山は、京都府宇治市にある萬福寺(まんぷくじ)です。

現在の本尊は、釈迦如来ですが、昭和54年の火災によって境内が焼失し、その際、土の中から薬師如来像が発見されたことから、昭和54年以前のご本尊は薬師如来であったことが判明しています。

その後の昭和60年に、本堂及び境内伽藍が再建され、その時にご本尊が釈迦如来がお祀りされています。

1790年から1800年頃(寛政年間)に、江戸時代に一世を風靡した画家・伊藤若冲は禅定を好み、石峰寺との縁を結び草庵を築いたとされます。

のちに石峰寺7代目・住職「蜜山和尚」の協力を得て、1777年(安永6年)頃〜1785年(天明5年)頃にかけて、この石峰寺の裏山に五逆羅漢像を造立しています。

このときに若冲が造立した五百羅漢像こそが現代にまで残る名作・「五百羅漢像」になります。

ただし、若冲が実際に造立したわけではなく、若冲はあくまでも下絵の制作に没頭し、その下絵をもとにして石工に造らせたものが今日に見る五百羅漢像だと伝えられています。

「伊藤若冲」と「石峰寺」

実は、伊藤若冲が名を馳せるようになったのは、40歳以降に定年した以降になります。

江戸時代までは、40歳は初老と言われており、家督を次の世代に譲るのが通例とされていました。

伊藤若冲は、京都・錦市場の青果の商家として生を得ていますが、40歳頃を境に弟に家督を譲り、自身は隠居生活と称して、絵を書きふける生活に入ります。

絵画に没頭する若冲の日々の暮らしを支えたのが、弟であったと言います。

若冲は隠居した以降、家督を継いだ弟の援助を受けて、後世の残る大作を創作することになって行きます。

若冲の画風は、狩野正信・元信・永徳を祖とする狩野派の影響を受けていたとされており、一説には狩野派に師事していたと云われております。

その鮮やかな色使いと細かい絵のタッチ、鳥などの生き物を数多く描いた意匠作品は、若冲の画風の根幹を成す大きな特徴とも言えます。

1788年(天明8年)には、京都の洛中で大火事が起こり、その影響で家宅を失っています。

そして以前より親交のあった、石峰寺の住職「蜜山和尚」の助言もあり、現在の石峰寺に草庵を造営するに至ります。

その後も京都を中心に精力的に創作活動に精を出し、85歳で人生の幕を下ろし、現在は石峰寺で静かに眠っています。

伊藤若冲の作品が後世で有名な理由

伊藤若冲の作品は、作画した当時は、それほど有名ではありませんでした。

若冲の絵の値段も、現在ほど途方もないほどの金額ではなく「絵画1枚」とようやく「米一表」が交換できた程度であったと云われております。

すなわち、若冲の作品が有名になったのは、後世になってからです。

1971年(昭和46年)に、東京国立博物館で「若冲展」が開催されたのを皮切りに、建築家フランク・ロイド・ライトなどの、アメリカの著名人に広く知られるようになります。

この「若冲展」は好評を博し、以降、日本からアメリカへ若冲の作品が流出し売買されるようになっていきます。

現在では、アメリカのロサンゼルスの美術館やアメリカの資産家の家宅に多数、若冲の作品が所蔵されているのが確認されています。

つまり、海外で高い評価を得て、その流れで日本でも名前が広まっていったと言うことになります。

京都・石峰寺の見所(見どころ)

京都・石峰寺の五百羅漢

京都・石峰寺でもっとも有名な見所として「五百羅漢」があります。

五百羅漢は「ごひゃくらかん」と読み、作者(下絵)は上述の伊藤若冲(いとうじゃくちゅう)です。

伏見「石峰寺 五百羅漢ぼ象1770年代の中頃から造立が開始され、1788年頃の天明初頭に完成を迎えており、約10年間の歳月をかけて造立されたと云われております。

五百羅漢とは、およそ五百人の「羅漢」と称されるインドの高僧集団のことです。

何故、500人なのか?の理由については、お釈迦様がこの世を去られた後、宗派の統制を改めるために集まった高僧、いわゆるお釈迦様の弟子たちが500人いたことに由来しています。

以上の理由から500体の石像が造立され「五百羅漢」と呼称されています。

石峰寺の五百羅漢像は釈迦と五百羅漢の生涯を石像で表現しており、以下のような題名のもとに石像が造られています。

石峰寺の五百羅漢像で表現されているものの正体とは?

石峰寺の五百羅漢像の群像は、ただ単に何の考えもなしに並べられいるわけではなく、何かを表現するために並べられいます。

その何かとは以下のような「お釈迦様の一生」です。

1.「誕生仏」

お釈迦様の誕生した場面が表現されています。

2.出山の釈迦

6年の修行ののち、さらに悟りの境地を極めるために雪山を出るお釈迦様が表現されています。

3.十八羅漢

賓度羅跋羅惰闍(ひんどらばっらだじゃ)・迦諾迦跋蹉(かだくかばさ)・迦諾迦跋釐惰闍(かだくかばりだじゃ)・蘇頻陀(そびんだ)・諾距羅(なくら)・跋陀羅(ばだら)・迦理迦(かりか)・伐闍羅弗多羅(ばしゃらふったら)・戍博迦(じゅはか)・半託迦(はんだか)・羅怙羅(らごら)・那伽犀那(なかさいな)・因掲陀(いんかだ)・伐那婆斯(ばなばし)・阿氏多(あした)・注荼半託迦(ちゅだはんだか)
以上、「十六羅漢」。

さらに以下の2羅漢を加えたものが十八羅漢です。
慶友・賓頭廬(びんづる)、または、大迦葉(だいかしょう)・軍徒鉢歎(ぐんとはつたん)

4.説法場

お釈迦様が悟りを得て、初めて説法を行なった様子を表現しています。これまで通説ではお釈迦様は「ムリガダーヤ」という場所で初めて説法を行なっています。日本語訳では「鹿野苑(ろくやおん)」と呼称します。

5.托鉢修行

いっさいの欲を禁じられたので、托鉢によって浄財を集め、その日その日を生き抜くという過酷な修行の様子が描かれています。ただし、こうも説いています。「僧侶は仕事をせず、ただ黙って座っているだけの身分でありながら他人のものを占有してはならない。」「他人のものを占有してしまうことはとても寂しいことであり、ヒドくプライドが傷つくことだ。」

「だからその分、一刻も早く人々を救済するための修行を完遂しなければならない」と。

6.涅槃場

涅槃(ねはん)とはお釈迦様が入滅したことを示す言葉です。釈迦は自らの死を悟り、弟子たちに最後の説法を残そうとします。その場所となるのが「クシナガラ」という場所で、最後は沙羅双樹(さらそうじゅ)という樹木の間で横になってこの世における最後の時を迎えたと云われております。

7.賽の河原

入滅したのちの釈迦の様子が表現されています。賽の河原とはすなわち「三途の川岸」のことです。

以上、お釈迦様の一生がこの石峰寺の五百羅漢像を通して表現されています。

ところで・・「十六羅漢」や「十八羅漢」とは?

五百羅漢と類似したものに「十六羅漢」や「十六弟子」、ほかに「十八羅漢」と言った像もありますが、これらも五百羅漢同様にお釈迦様の弟子たちの像になります。

お釈迦様の有名な弟子に超能力が使えた高僧・「賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)」がいます。

賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)は、十八羅漢の1人であり、生まれ持って超能力(神通力)が使えましたが、救済のために使用せずにイタズラのために濫用してしまいます。

このことを知った、お釈迦様はヒドく悲しみ、賓頭盧尊者にお仕置を与えて改心を促します。

その後、賓頭盧尊者はお釈迦様言いつけを受け入れて改心し、より一層、修行に励むようになり羅漢と称されるまでになります。

チカンとは・・あぁイヤイヤイヤ、「羅漢」!!..あぶない は、インド仏教における最高位を示す言葉とも言われており、悟りの境地にあっても、さらに境地を極めんとする高僧のことを言います。

但し、石峰寺の羅漢は五百羅漢として有名ですが、若冲が造立した当初は1000体以上の羅漢像が存在したようです。

羅漢像の数が減少したのには様々な理由があり、現在に至るまでに盗難にあったり損壊するなどの影響で、現在では400数十を数えるほどに減少しています。

なお、五百羅漢は、石峰寺だけにあるのではなく、島根・石見銀山などを代表として日本全国の寺院にもあります。

注意点

石峰寺の五百羅漢像は写真撮影やスケッチが禁止されています。掲載している写真はお借りしたものです。

【補足】五百羅漢は本当に500人??「石峰寺の五百羅漢が1000体存在した理由」

上述したとおり、かつての石峰寺には1000体ほどの羅漢像が存在しておりましたが、カンの鋭い方であれば「500人なのに何故1000人?」など言った疑問をもたれると思います。

実は、お釈迦様がこの世を去られた後に宗派を統制を改めるための会議が行われており、この会議は合計で3回開催されてたと云われております。

重複を含まずに1回の会議で500人が出席したと考えると総計で1500人が会議に出席したことになります。

以上の理由から、羅漢像が造立される時は500人ではなく、この石峰寺のように500人以上造立されていることがあります。

石峰寺の御朱印

石峰寺にも、他の神社や寺院と同じように御朱印が存在し、授与することができます。

高着眼」とド真ん中に記載された御朱印です。

石峰寺には、「即非如一(そくひ にょいつ/黄檗宗の三筆の一人)と言う人物が筆を取った「高着眼」と書かれた扁額(へんがく)」が掲げられています。

つまり、この御朱印は即非如一が書いた扁額をなぞらえたものとなります。

オマケで五百羅漢さんと五百羅漢の石像が立っている後方のタケノコ(竹)がデザインされています。確かに五百羅漢像が立ち並ぶ場所は不思議と竹が生い茂る竹林になっています。

  • 高着眼の御朱印の値段:300円
  • 授与場所:本堂(寺務所)

石峰寺の寺務所は本坊の兼用ですが、管理されている方が少数のため寺務所はなく、五百羅漢像の拝観入口の前あたりで受付をされています。

その受付で御朱印帳を預ける形で拝観します。

五百羅漢像の拝観には1人300円必要になりますが、300円をケチりたいケチなボンビーは、書いていただくのを待つ他ありません。


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石峰寺の入口の赤門

石峰寺の入口には、中華風の造りの門があります。

石峰寺の入口の赤門京都・石峰寺と言えば、まず、この赤門をイメージする方も多いと思います。

このような赤門が石峰寺に建てられている理由は、伊藤若冲の作品の中に「石峰寺(1971年・作)」という作品があり、この中に赤門と類似した門が描かれているからです。

伊藤喜若冲作・石峰寺

つまり、伊藤若冲が描いた石峰寺の門であり、それを具現化した門ということになります。

この赤門の周りには、たくさんの木々や草花が自生しており、四季の彩りを目に焼き付けることができます。

特に、秋や春になれば桜やカエデ(モミジ)が紅葉の見頃を迎え、鮮烈な情景を脳裏に描写することになります。

御本尊「釈迦如来立像」

石峰寺は五百羅漢像と伊藤若冲が眠る寺院として有名ですが、寺院なので仏像も安置されています。

石峰寺の仏像、いわゆる御本尊は「釈迦如来立像」です。

昭和54年以前は薬師如来が御本尊でしたが、1979年(昭和54年)に起こった放火により、本像は焼失し、現在は1985年(昭和60年)の本堂再建時に新たに安置された釈迦如来像が御本尊として祀られています。

「伊藤若冲のお墓」と「筆型の石碑」

石峰寺は伊藤若冲が最後を迎えた地というだけあって、実際に伊藤若冲のお墓があります。

⬆️伊藤若冲のお墓

お墓の横には筆の形をした世にも滑稽な形の石碑が立っていますが、これは若冲が生前、枡源7代目の清房に遺言を残し、立てさせたものと伝えられています。

⬆️筆の形をした世にも滑稽な石碑。造立は江戸時代。

のちに幕末の三筆とまで賞された「貫名海屋(ぬきな かいおく)」が碑文を書いています。

詳しくは、1830年(文政13年)7月2日に起こった京都地震の影響で筆型の石碑が倒壊してしまうのですが、これを天保4年に清房の孫が修理して立て直し、その後、菘翁がその由来を墓表に刻んだものです。実際に「天保4年」の刻銘が石碑に残されています。

石峰寺・「若冲忌」

若冲は上述の通り、石峰寺のスグ前に建っていたとされる草庵にて85歳で命を散らしています。

時に1800年(寛政12年)のことです。

若冲は、五百羅漢像を造立したことで有名ですが、具体的には五百羅漢像の下絵(完成図)を書き、石像を彫ったのは地元の石工だと云われています。

9月10日は「若冲の命日」と言われ、例年、石峰寺では「若冲忌」と呼称し、この日は若冲を偲んだ法要が執り行われます。石峰寺・「若冲忌」

石峰寺・「若冲忌」の概要(日程)・時間・料金など

概要

若冲の掛軸が一般公開され、特別拝観できます。

時間

10時30分~17時
※法要の終了後から掛け軸の一般公開。

場所
  • 石峰寺・若冲の墓前(法要)
  • 石峰寺・本堂
拝観料金
  • 300円(詳細は下記参照↓)

京都・石峰寺の「桜(花見)」の開花時期・見頃時期・拝観料金など

京都・石峰寺の境内には、たくさん木々や草花が自生しています。

そのうちの1つに「八重桜(やえざくら)」があります。

八重桜は、枝がイビツな形状をした特徴的な桜の木ですが、この木に成る桜は見事な景観を演出してくれます。

石峰寺の境内入口には上述の「赤色の石の門」が造営されていますが、この門の付近周辺には、たくさんの八重桜が自生しており、美しい桜の花びらを目に焼き付けることができます。

石峰寺の桜花見に関しては、残念ながら境内では禁止されているようですので、桜の下で少し腰を下ろして、小休憩する程度になります。

他にも、境内の五百羅漢の参道には「ソメイヨシノ」のなどの桜が自生しています。

参道に舞い散った桜の花びらが、美しい絨毯となって覆いかぶさり、見事な風景を目に焼き付けることができます。

京都・石峰寺の紅葉の見頃時期・拝観料金など

石峰寺の紅葉

石峰寺には、山モミジやカエデなどが多数、群生しており、秋の石峰寺は京都を代表する観光スポットして有名です。

石峰寺の紅葉の見頃時期は、日本全国の平均よりも少し遅く、例年11月の下旬から12月の初旬です。

ただ、近年の異常気象によって、紅葉の色づきの時期に変化が生じているようです。

早ければ11月の上旬に紅葉が目立ち始め、11月の中旬頃にはプチ見頃を迎えることもあるようです。

紅葉の進み具合は年によって異なりますので、公式ホームページなどで最新情報をご確認の上、お出かけください!

なお、石峰寺の紅葉の風景は、写真集となって書店に並ぶことがあります。

気になるあなたはぜひチェックしてみてください。

石峰寺にほど近い場所にある「伏見稲荷大社」の紅葉情報は、当サイトの以下のページ↓でご紹介しています。

関連記事:【千本鳥居と素朴な紅葉】伏見稲荷大社の紅葉「見ごろ時期・おすすめスポット・ライトアップ・混雑状況・アクセスなど」

伏見稲荷大社と石峰寺を続けて訪れたい方は、アクセス情報もご覧ください!

関連記事:京都・伏見稲荷大社から京都・石峰寺へのアクセス・行き方「徒歩・電車・バス」

※紅葉の時期の京都の道路はたいへん混雑します。バス・車・タクシーの利用はできるだけ避けることをおすすめします!

その他の秋に見頃を迎える草花

石峰寺の境内には、モミジだけではなく「ドウダンツツジ」や「イチョウ」なども自生しており、これらの木々がいっせいに色づき始めます。

石峰寺の赤門紅葉したがって、赤と黄色と半・緑色の葉っぱの色づきを目に焼き付けることができます。

ただし、「ドウダンツツジ」や「イチョウ」の見頃の時期は、モミジよりもやや遅くなっていますので、11月の末から12月の上旬頃が見頃となります。

以上のことから、上述の赤色・黄色・半・緑色の葉っぱの色づきを見るためには、11月の末から12月の上旬に訪れる必要が出てきます。

京都・石峰寺の拝観料金

石峰寺の拝観料金は五百羅漢像を拝観するときに必要になります。参拝するだけであればタダ(無料)です。

拝観料金は、紅葉時期も春の桜の時期も四季を通して同じです。

ただし、30人以上の団体で来られた場合は割引料金(50円割引)が適用されます。

個人
  • 300円(大人・大学生・高校生)
  • 200円(小人・中学生)
団体(30人以上・割引料金)
  • 250円(大人・大学生・高校生)
  • 150円(小人・中学生)

石峰寺の見学所要時間

  • 約30分ほど

京都・石峰寺へのお問い合わせ先「住所・電話番号・定休日・URL」

  • 住所:伏見区深草石峰寺山町26
  • 電話番号:075-641-0792
  • FAX番号:075-641-0792
  • 定休日:年中無休
石峰寺の営業時間(拝観時間)

  • 9時~17時(3月~9月)
  • 9時~16時(10月~2月)
石峰寺の駐車場・料金

  • 収容台数:11台
  • 料金:無料
注意

石峰寺の境内は24時間参拝できません。上記の時間になれば「本日の拝観は終了しました。」の立て札が立てられて境内への立ち入りができなくなりますのでご注意ください。ウフ

【補足】石峰寺の境内の五百羅漢の撮影に関して

石峰寺では、過去に五百羅漢の石像が壊されるトラブルがあり、現在では五百羅漢の写真撮影やスケッチ等は禁止になっていますので注意が必要です。
万が一、スケッチや写真撮影される場合は、申し出て許可をとる必要があります。

こちらのページでご紹介したのは、2019年4月現在の情報です。
変更になっている場合がありますので、最新情報は公式ホームページなどでご確認ください。

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